ほふく前進の奴

ネッツトヨタのディーラーのK君からline。
タンクのスタッドレスタイヤのお勧め。

忘れてた。
今年の4月にタンクに買い替えたから、スタッドレスタイヤ買わなアカンのやった。
5万~6万の出費。
ホンマに車の維持にはお金がかかる。

元々、タンクに買い替える予定は全くなかった。
前に乗ってたトヨタ.スペイドもまだ3年目でローンも残ってたし。
K君のプレゼンが素晴らしかったのと、スペイドにまだ居てるかもしれない『奴』が怖くて、買い替えてしまった。

去年の夏の終わり、朝早く出掛けようと身支度整えてるあたしに、お母さんが言う。
彦根行くんやったら、愛知川のおばさんのとこに奈良漬け持って行って。」
そう言って、タッパーに入った胡瓜の奈良漬けを差し出す。
お母さん渾身の自家製奈良漬け。

あたしのお母さんは色々なお漬物を漬けてくれる。
みんなに、「贅沢やん、羨ましいわ。」とよく言われる。
確かに贅沢。
でも、あれは本当にマメにマメに掻き混ぜたりしないと、夏場は『奴』が沸くのだ。

そう、うじ虫が。

あたしはヘビや蛙、トカゲなんかの爬虫類系や、バッタや蝉なんかの虫系も別に怖くない。
夏場は勝手口やお風呂の窓を開け放してるから、蛙なんかしょっちゅう家の中に入ってくる。
「蛙が怖くて百姓がやってられるかぁー。」
ほぼ友達。

でも、毛虫や芋虫なんかのほふく前進系がもう全然ダメ。
その中でも、うじ虫がこの世で一番嫌い。
マジで気絶しそうになる。

お母さんは糠床から取り出した漬物をよく洗わない。
糠床が入った漬物樽のフタなんかも、糠が付いた手で触る。
気が付いたらあたしが拭き取るんやけど、いたちごっこできりが無い。

時々ドアノブに糠が付いてて、知らずに触って「ヒッ😨」と飛び上がりそうになる。

そんなお母さんが用意した、奈良漬け入りのタッパー。
案の定包んでるビニール袋にもうっすら糠が付いている。

あたし「嫌や。車が奈良漬け臭くなるやん。」
お母さん「もうおばさんに持って行ってもらうて言うてしもたがな。」
なんでこっちの都合も聞かずに勝手に話すのよ…。
こっから先は何話しても喧嘩にしかならない。
観念して持って行く事になった。

まだ朝の早い時間。
あたしは抜け道の農道を快調に飛ばしていく。

助手席のシートには、お母さんの用意したビニール袋を更にビニール袋に入れた奈良漬けが乗っている。

もうあと10分程でおばさんちに着く。

その時、視界の左隅がなんか動く物を捉えた。

ダッシュボードを左から右へ、そう助手席側から運転席側へ、〝もうこれ以上スピード出せませんっ!〟みたいな渾身のほふく前進してくる奴が。

こんなに丸々と太れるんや!いうくらいのビッグサイズのうじ虫が!
(あ~、映像思い出したぁ~。書くんやなかったぁ~。)

「ギャーッ!!!!!!」

「キキーッ!」 急ブレーキ。
「バサーッ!」 積んでた鞄や荷物全部落ちる。
「バーンッ!」 車から飛び降りる。
「うわぁーッ、うわぁーッ!!」 大パニック。

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

「どーしよ、どーしよっ!」

朝早い農道で、車の周りをグルグル回るという、何の意味も持たない行動を取った後、
「誰か助けて誰か助けて。」
大の大人やのにオイオイ泣いた。

でも、ど田舎の農道。見渡す限り田んぼの中の農道。
だーれも居ない。
なーんにも通らない。
自分でなんとかするしかない。

恐る恐る運転席のドアを開ける。

奴が居ない。

全力のほふく前進してどっか行ってしまった。
余計パニック。

「どこ行ったん、どこ行ったん!」

車の中を一通り見渡しても見つからない。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

絶対車の中に居る事は間違いない。
どーする?どーすればいい?

殺虫剤かなんか積んでなかったっけ?
積んでる訳ない。
なんか効きそうな物…。
これくらいしかない。

トランクに積んであった、油膜取りスプレーを、ダッシュボードからドアから、もしかしたら居るかも。と思う場所に吹き付ける。
恐る恐る目を凝らす。

見つからない。

この恐怖に加えて、新たな恐怖が沸き上がって来た。
助手席の足元に落ちてしまった、ビニール袋に入った奈良漬け。
あの中には奴の友達がもしかしたらわんさかと居るんやないか…。
その中の一番元気な奴が、たまたまタッパーの隙間から這い出し、二重のビニール袋を突破して出て来ただけ?
精鋭中の精鋭?
偵察部隊?
ビニール袋の中には他にも隊員が居てるんやないか?

ボタボタボタボタボタボタボタボタ。
(涙が流れ続ける音)

どーしたらいいのぉー!

助手席側のドアを恐る恐る開け、これまたトランクから取り出したドライバーの柄でビニール袋を引っ掛けて車から出した。

このまま捨てて帰りたい。

お母さんとおばさんの顔を交互に浮かべる。
二人とも一匹や二匹のうじ虫くらい、ビクともしない。
お母さん渾身の自家製奈良漬け。

考えた挙げ句、ドアミラーに引っ掛けて行くという暴挙に出た。
車のボディーにキズが付くかもしれないけど、もうどうでもいい。
サッサと運び終わりたい。

それにしても奴はどこ行った?

更にくまなく見渡すのに、姿が見えない。
もう一度油膜取りスプレーを噴射して、観念して走り出した。

カーブんとこで、油膜取りスプレーでツルツルッになったハンドルが滑って、田んぼに突っ込むーッみたいな恐ろしい思いを一回挟んで、ようやくおばさんちに着いた。

ピンポーン。
おばさんに「この奈良漬け、もしかしたら虫沸いてるかもしれへん…。」と言うと、
「ちょっとくらい構へん。よー洗ろてから食べるで構へんわ。おおきに。」

そーいう問題か?
もしかして、タンパク源か?

その後元々の目的地まで、文字通りかっ飛んで走り到着。
もう一度確認しても、奴は見つからない。

もう暑さ攻めしかない。
まだまだ暑い夏の終わり。
いつもなら、車中の温度が上がり過ぎないよう、1センチくらい窓を開けておくけど、ビッチリ締めて車を離れた。

それから一週間くらいは、ドアを開けるのが怖くて仕方なかった。

奴はどこ行ったんやろう?
その後、車の掃除した時も死骸も見つからなかった。

結構気に入っていたスペイドは、奴の墓場になったかもというミソが付いて、あたしの中でグレード落ちした。

そんなこんなで、予定外に早く車を買い替えるハメになってしまった。


タンクには、お母さんにどんだけ頼まれても絶対自家製漬物は載せないと、固く誓っている。

スタッドレスタイヤ買わなくちゃ。