夢の続き。
快晴の成人の日。
あたしの家から見える伊吹山も、真っ青の空に真っ白のコントラストが無茶苦茶美しい。
あたしは成人式に、当時流行ってた大正ロマンのニュー着物を着て行った。
お姉ちゃんの同級生の美容室でレンタルした着物着て、生まれて初めて付けたウィッグで。
どんな着物着るか、どんなメイクにするか、そんな事ばっかり考えてて、両親にちゃんと感謝の気持ち伝えるなんて頭になかった。
お父さんもお母さんも、ずっとずっと元気で居てくれるものだと思ってた。
新成人を迎える家庭で、一軒でも多く両親に感謝を伝えてくれてるといいな。
あたしは結婚もしてないし、ましてや子供もいないから親の気持ちなんて分からない。
でも自分が50歳を過ぎて、あの時のお父さん、お母さんはこういう気持ちやったんと違うかなと思う事が増えた。
5年ほど前、当時27歳くらいの社員のNさんが、自分のお父さんともう2年くらい口を聞いてないと話した。
あたしはびっくりして、「なんで?」って思わず大きい声で聞いた。
Nさん「なんか鬱陶しいんですよ。」
あたし「お父さんは何にも話し掛けて来はらへんの?」
Nさん「おはよう。とか挨拶はして来やりますよ。」
あたし「ほんでNさんは何も返さへんの?」
Nさん「はい。無視してます。」
あたし「……。(絶句)」
あたし「なあNさん。急にお父さんと会話してあげて言うても無理やろ。自分からお父さんに挨拶するのも多分無理やわ。ほやけど、ほれやったらせめて家出る時に、お父さんが居る方に向かって〝行って来ます〟て、それだけでいいから言うてあげて。ほれでお父さんの一日は全然違うはずやから。な、お願いやし、それだけでええから言うてあげて!」
きっと小さい頃から目に入れても痛くない程、Nさんの事を可愛いがって来ただろうお父さんの気持ちを考えると堪らなくなって、力説したなぁ…。
そのNさんが去年、別の社員さんの送別会の時、あたしの隣の席になって座るなり
「〇〇さん、あたし今はちゃんとお父さんと話してますよ。あの時はなんかダルかったんですよね。」と言って来てくれた。
力説した時は、全然響いてない感じで、変なおせっかい焼いてしまったかな…ってちょっと後悔してただけに、無茶苦茶嬉しかった。
よそんちの事やのに。
子供がどんなに感謝を伝えても、親が子供に注いでくれた愛情の万分の一にもきっと満たない。
お父さんが亡くなってから、あたしはお父さんに本当に守られてたんだと痛感する毎日だった。
世帯主になって、町内やお寺の行事に出席するようになって、男手が居ないというのがどういう事なのか、思い知らされる。
JAや銀行や保険会社と色々な契約を交わす時。
家屋敷が台風被害を受けたり、古くて修繕する時。
いつもこれでいいのか、他にもっといい方法があったんじゃないのか、この見積書通りに事を進めていいのか…。
お米作っても、年々JAの買い取り価格が下がって、もう利益は全く見込めなくなって、近所の農家が次々廃業していって、赤字でもそれでもお米を作り続けるべきなのか…。
迷う度に、お父さんはこれを全部あたし達家族に何の不安も与えないようにしてくれてたんかと尊敬する。
あたしはお父さんに全力で守ってもらってた。
だから全力で守り返したかった。
もう出来ないけど。
あ、そうそう。
夢の続きは見れなかった。
っちゅーか、自分の意思で見たい夢が見れる力があるんなら、こんな田舎でお米なんか作ってない。
予言書かなんか書いてるわ。
そもそもどんな夢やったのか、もう覚えてない。
夢なんてそんなもん。
夢はそれだからいい。