プライド

仕事終わって19:00頃帰宅。

宮迫さんとロンブーの亮さんが謝罪会見をしたと初めて知る。
サタステで映像を見た。

二人のあまりの憔悴振りに「うっ。」と心の中で声が出た。

ずっと何で謝罪会見をしないんだろうと思っていた。

記者に突撃された時、咄嗟に「知らない、貰っていない。」と答えてしまったのは仕方ない。
誰でも突然記者に矢継ぎ早に追撃を向けて、その場ですぐ非を認めたり出来るものではない。
ましてや、問題となっている場に居たのが、宮迫さん一人ではない。
後輩も何人も居たなら尚更、自分の答えによっては後輩達にも火の粉が降り掛かる事になる。
きっとそこまで頭が回る余裕が無い程の時間で行われたやり取りだろうから。
ただ返す返すも、その後ギャラを貰っていないと嘘を付いてしまったのは、残念だった。
その後そのギャラが宮迫さん100万円、亮さん50万円と知った時の衝撃は大きかった。
あたしはせいぜい20万円~30万円くらいかと思っていた。
ちょっとこれは洒落にならないぞ…と思ったあの時を潮目に、世間の目もどんどん厳しくなっていった様に思う。
〝俺ら汗水流して働いても、一日一万円にもならへんのに、ちょっと宴会に顔出して一曲歌っただけで、100万円も貰えるのかよ。芸人ってほんなにええもんか?〟
こんな声がきっとあちこちで沸き上がったはずだ。

テレビで見る宮迫さんは、自分大好き、お調子者で人に褒められるのも大好き。
ついつい自分の仕事振りを自慢してしまうような分かり易い部分を持った人。
その半面、ビビりで気の小さい所がある。
だからこそ色んな細かい事が気になる。
繊細さとすぐ調子に乗る子供っぽさ。
相反する面を持ち合わせた人。

きっとどんどん大きくなって行く騒動に、文字通り震え、どうしてあんな行動を取ってしまったのかと、繰り返し繰り返し反芻して、泣き暮れていたのではないか?
その想像が間違ってはなかったと思える今日の姿だった。

想像が当たって嬉しいか?
自分の中の、偉そうに他人を批判したがる性癖に愛想が尽きた。

ずっと謝罪会見を開きたいと申し入れていたのに、ストップを吉本にかけられていた事実。
今日の会見に嘘は無い。
ネットを見ていたら、〝芝居じみている〟みたいな反応の人が居るが、亮さんのあの痩せ細った姿を見て、宮迫さんの絶対どんな質問からも逃げないという覚悟を秘めた真っ直ぐな視線を見て、尚どうしてそんな感想が出て来るのだろう。

ただ二人の話している事が事実に違いないと絶対の確信があるからこそ、受けたショックは大きくて、今この時間になっても涙が止まらない。

「ファミリーだと言うなら…(略)どういう風にしたら、こいつらがちゃんと謝ってくれるかを手伝って欲しかっただけです。」

何故、こう出来なかったのだろう。
何故、謝罪会見を認めないという判断になってしまったんだろう。

なんだか呆然として、何を書いても何を吐露しても、薄っぺらい気がして、たったこれだけの事を書くに至るまで、もの凄く時間がかかってしまった。

あたしの中の関西人としての意地。
あたしの中のずっとずっと吉本が好きだったという事実。
あたしの中の少しはお笑い芸人さんが、本気で頑張っている現場を観て来たという自負。
あたしの中のお笑い好きとしてのプライド。

全部引っくるめて、全部集めて、こう書く。

しばらく〝吉本狩り〟が続くだろう。
でも、この問題が大きな騒動になればなるほど、自分達のステイタスが上がったと喜ぶ反社会勢力の奴等が居る。
その事を忘れてはいけない。
どうしても、今矢面に立っているのが有名人なので、そこに批判が集中してしまうけど、そのブレには気を付けなきゃいけない。

「こんな時にお笑いなんかやって。」
きっとそう言う人達が出て来る。

「アホか。」

お笑い芸人というのは、人を笑わせて笑わせてなんぼでお金を稼いでる人達なんやって。

今日はトマトが良いのが入らんかったから店閉める。
そんな八百屋があるか。
今日はなんか面倒くさいから、搾乳止めとくわ。
そんな酪農家が居るか。

お笑い芸人は、『職業笑人』なんやって。
笑う、笑わへんはこっちの勝手。
強制されるものでも、統制されるものでも無い。

〝笑わせる〟事を責めるより、〝笑える自由〟を噛み締めるべきだ。

「あたしらが見て来たよしもとは、あたしらが笑わせてもろて来たよしもとは、今日一日で語れる程そんな小っちゃもんや無い。」

『大阪の、関西のお笑い=よしもと』
他に代わるもんなんて、出て来ない。

絶対に。