さよなら パッソ
月曜日。
お母さんが能登川病院まで自分で運転して行って、助手席側のドアミラーを電信柱にぶつけて、帰って来た。
うちんちから能登川病院まで約15キロ30分。
勿論、普段はあたしが送り迎えしている。
でも月曜日は元々の診察日ではなくて、お母さんがイレギュラーで診察を入れたので、調整がつかなかった。
前の日に、あたしとお母さん共通の知人(70歳代)が、車で事故したばかりで、ちょっとスピード出してたと言うてはったので、
「絶対にスピード出さんといてな。」
「時間に余裕持って行ってや。」
などなど。
散々、散々、念を押したのに。
能登川病院の近辺は道幅が狭くて、オマケに電信柱や標識のポールがやたら立ってて、車とすれ違おうと思うと、徐行しないといけない。
なのに…。
車を見に行ったら、ドアミラーどころか、窓ガラスは木っ端微塵。
その破片が運転席、後部座席、後部トランクまで飛び散ってる。
どんだけ飛ばしてたんや。
思わず「どうやって帰って来たん?」と聞くと、
「服の中に破片が入って痛かったけど、後ろに車が居てるし、止まってられへんさかい、そのまま運転して帰って来た。」
「………。」
よく、電信柱に当たって(絶対に凄い衝撃やったはず)パニックになって、更にアクセル踏んだり、急ブレーキかけて後続車に追突されたりせえへんかったこと…。
ゾッとした。
「あんな事なるて、よっぽどスピード出してたんやてっ!」
「お母さん、いっつもスピード出し過ぎやって言うてるやんっ!」
興奮して怒ってしまった。
お母さんは、「ほんなもん、ドアミラーが当たってんねんさかい、窓ガラスくらい割れるわなっ。」と、どこまでも強気。
いつも修理を頼んでるお兄さんに見に来てもらった。
「修理をすれば、中古車1台買えるくらい費用がかかる。」
「オートマチック車はどうしても簡単にスピードが出て、高齢者の事故が多い。」
「もう廃車して、軽トラ(ミッション車)だけにしとかはったらどう?」
と言われ、
「お母さんには車が大きいと思てたさかい、こんで諦めがついた。」と廃車する事に。
お母さん。
車がミッション車になっても、運転する人の運転次第なんやで。
そこ、分かってる?
言いたい事は山程あったけど、お母さんなりにショックも受けてる様で…。
人に当たらなくて良かった。
お母さんにケガが無くて良かった。
あんな状態で良く無事に家まで帰って来てくれた。
カーッとなってしまった熱が少し冷めたら、ちょっと怒鳴ってしまった事を反省した。
「無事に帰って来てくれて良かった。」と、最初に言ってあげられなくて、なんか凹んだ。
このパッソは、あたしの3代目の車。
高卒で最初に買ってもらったのが、トレノリセ。
トヨタトレノのレディース仕様車。(あの頭文字D のモデルになった通称86のレディース仕様車)
それまで、車はお父さんに買ってもらう物だったのが、お父さんが亡くなって、身の丈に合った車にしておこうと選んだのがパッソ。
カルディナが2000CC の車だったので、初めて乗った時はおもちゃに乗ってるみたいだった。
でもナビも付いて無いのに、高山や岡山くらいまでならドライブに行ったし、良く走ってくれた。
9年乗って、まだあと2年は乗るつもりだったのが、お母さんが乗ってたお姉ちゃんのお下がりの軽自動車が古くなって、お母さんに譲る事になった。
9年間、一度も擦ったりぶつけたりした事は無くて、綺麗に乗ってたのに、お母さんに譲った途端あちこちにキズが出来てショック受けてたなぁ。
トータル14年。
我が家の足として、良く走ってくれてありがとう。
こんな可哀想な最後になってしまってゴメンね。
よくぞ、家まで無事にお母さんを乗せて帰って来てくれた。
ありがとう。
ゴメンな。
さよなら パッソ。