雨の日の記憶と、消えない後悔。
🎤 君に逢う日は不思議なくらい
🎤 雨が多くて
🎤 水のトンネルくぐるみたいで
🎤 しあわせになる
ASKA / はじまりはいつも雨
雨と言うワードが出て来る歌は一杯あるけれど、あたしがパッと浮かぶのはこの曲。
勿論CHAGE&ASKAが今の様になってしまう前の曲。
鼻にかかったASKAの歌声と、メロディーと歌詞がぴったり合って、ヒットした。
凄く好きな曲で、この曲がリリースされてから10年位は、カラオケに行ったら必ず歌っていた。
こんばんは。
ウル虎マリンです。
ウゲッ。
また負けた。
単独最下位。
単独最下位。
……ってなんか、綺麗な5文字やな。
けど、けど、ボーアが打ったっ!
もうほやし、ほんでいいっ!
快心の当たりって感じでは無かったし、フォームがどうとか色々あるかも知れんが、ずっとやられっぱなしやったアウトコースをヒットにした。
もうほんでええわ、ボーア。
1本ヒットして、随分気持ちも楽になったやろうし。
それより、片岡篤史さんが解説に復活してるっ!
良かったぁ~。
番組の始まりには間に合わなかったので、最初から見れて無いけど、体調完全復活の様子。
病院のベッドに横たわりながら、「皆さんもコロナには気を付けて下さい。」と、発信した片岡さん。
本当に苦しそうで、「ええ…、大丈夫やんな…?」と無茶苦茶心配になった。
今の世の中、誹謗中傷も浴びたかもしれへんけど、あの映像を見て、ショックを受けて自分のコロナウィルスに対する対策をもう一度見直した人は一杯居たはず。
あたし自身もそれまでは他人事やったのが、「コロナウイルスって舐めてたらアカン。」と気を引き締めるきっかけになった。
ボーアに対して、「大丈夫。まだまだこれからや。」のスタンスで解説する片岡さん。
阪神に移籍してから思う様に打てず、阪神ファンにクソミソにけなされた片岡さんには、痛い程に今のボーアの気持ちが分かるのかもな…と、ちょっと思ったりもした。
片岡さん、すんません。
あの頃、あたしもクソミソにけなしてました。<(_ _)>
アニキが髪を切ったらしい。
パーマを当てている。
う~~ん。
可も無く不可も無く。
いや、パーマ当たってない方が好きかな。
パーマは多分仕事で当てる事になったらしいが、ずーっと大阪で切ってもらっていた友達の美容師さんが、結婚して東京に来て、それが奇跡的に自分の東京の家の近くだったので、切ってもらったんだと。
ええ?
あの美容師さん結婚しはったんや。
そっか。
アニキと結婚すればええのに…とちょっと思ってたんで、なんだかお目出度い事なのに残念な気持ちのあたし。
美容師さんも、アニキのInstagramに度々載せられて、そのせいでファンに勝手にあれこれ思われるってえらい迷惑な話だ。
でも、美容師業界がどういうもんなんかよく分からないけど、結婚して東京行って美容室に就職して、指名でカット出来るってかなりのキャリアの人??
美容室選びって苦労するし、その中で自分のお気に入りの美容師さんに巡り会うってなかなか難しい。
なので、東京に行っても旧知の美容師さんに切ってもらえるってそんな有り難い事は無い。
けど、けど……よ。
ほんな上手い話ある?
自分が東京進出したタイミングで、美容師さんも結婚して東京行って、それがたまたま自分の家と近いだと?
ほんな偶然ある?
Instagramのコメント欄に溢れる
「お気に入りの美容師さんに東京でも切ってもらえて良かったですね。」系のコメント。
あたしだけか?
こんな風に勘繰ってるの?
そして、同時に『脳内アニキVol.3』のリアリティが無くなるではないか!と思うあたし。
「何のこと??」と思った人は、6/19にアップした『TOKYOの雨』読んでみてくだせぇ。
ちなみに、あの話に出て来る横断歩道の真ん中で紙袋が破れて困ってるお婆さんのシーンは、あたしの記憶の中の光景がモデルになっている。
普段車に乗っているあたしは、バスに乗る機会がほとんど無い。
あれはあたしが20代前半の頃。
守山の免許センターから守山駅に向かうバスの車内での事。
運転免許証って違反が無ければ、普通に警察署で更新出来るのに、何がどういう理由だったか忘れたけど、期限内に更新し忘れて免許センターまで行くハメになったあたし。
守山の免許センターって琵琶湖湖岸にあるので、守山駅からかなり距離がある。
なので、守山市外の人はほとんどバスを利用するので、その日も試験終わりの人達を乗せたバスの車内は結構混んでて、あたしは一番後ろの席に座った。
雨が降っている街並みを、一番後ろの席から見るとも無しに見ていた。
幾つめかのバス停で、多分バスに乗ろうとして小走りしているお婆さんをバスが追い越した。
「え…間に合う?」とちょっと気になって振り返ってお婆さんを見ると、紙袋の底が破れて中の荷物が雨に濡れた歩道に落っこちて、お婆さんがオタオタしていた。
「あ…!」と思ってると、バス停に停まったバスはドアを開けて待ったけれど、乗らないものと判断して出てしまった。
「え?可哀想…。」と思いながらあたしはずっと後ろを振り返ってお婆さんを見ていた。
次のバス停で降りて助けてあげようかな…。
ええ…どうしよう…。
そう迷ってる間にもバスはずんずん進んで、カーブでお婆さんは見えなくなった。
結局あたしはどのバス停でも降りず、守山駅まで着いて電車に乗って家路に着いた。
「あのお婆さんあの後どうしはったやろ…。」と、ずっと心に引っ掛かりながら。
その夜、あたしは眠れなかった。
今の様に携帯もまだ無い時代で、数100メートルも歩けばコンビニがある訳でも無い。
あの時次のバス停で降りた所で、免許センターに行くのに必要最小限の荷物しか鞄に入れて行かなかったあたしには、代わりの袋を貸してあげる事も出来なかった。
でも、お婆さんの代わりに家に紙袋を取りに行ってあげるとか、家の人を呼びに行ってあげるとか出来たかもしれないのに…と、一晩どうするべきだったのか、気になって気になって眠れなかった。
あれから約30年。
あの時のお婆さんは多分もうこの世には居ない。
そして、若かったあたしはお婆さんの年齢に近付きつつある。
自分の水臭さが情け無くて、「次あんな風に困っている人を見掛けたら、絶対に助けてあげる!」と思い続けながら、この30年間、あの時の情け無さと後悔を払拭する機会は訪れてない。
なので、ブログの中で、あたしの長年の後悔をちょっと消してみたかった。
30年前のあやふやになりつつある記憶と、自分の妄想とが混じり合って、不思議なもんで情け無さと後悔はちょびっと薄れている。
ただ、どう頑張ってもリアルに想像出来ない東京の街並みがネックになって、場面を浮かべるのに苦労して恐ろしく筆が進まず、読み返すと「なんちゅー稚拙なエピソードみたいになってしまってるんや。」という、別の後悔が生まれてスッキリしない。
やっぱり、困っている人を見掛けたら、躊躇せずに助けてあげる事でしか、この後悔は消えないのだ、きっと。
妄想はただの妄想である。