隣人のその先。その⑩【脳内アニキvol.25】

何もする事が無い。

YouTubeもそんな何時間も見ていると、途中から寝てしまって、ギガ数ばっかり食う。


自宅待機になって二日目。

楓は早々と部屋から出られ無い事に飽き始めていた。

大学もリモート授業だったりで、毎日通っていた訳では無いのに、外に出掛ける事自体が、日々の生活に何かしらの変化や気持ちの張りになってたんだと、今更ながら気付く。

大阪の友達に電話しても繋がらない。

そりゃそうだ。

みんなこの時間は、授業だったり、バイトだったりそれぞれに予定が有るのだ。

「なんか、楓一人だけ暇…。」

自宅待機に備えてた訳では無いので、日常消耗品のストックも無い。

トイレットペーパーの予備がもう無くなる事に気付いたのは、昨日の夜だった。

亜希子に電話して送ってもらおうとしたら、もうおかずや日用品を送った後なので、また送るとなると送料がバカにならない。Amazonで買えと至極当たり前の事を言われ、注文した。

カラカラカラカラ~っと調子良く使ってたトイレットペーパーも、カラカラぐらいで切る様になった。

そのすぐ後に、ペットボトルの水も買わないともう無い事に気付く。

「またAmazonで注文…。」

なんだか急に勿体ない気がして来て、水道水をケトルで沸かして使う事にした。

沸騰して冷めた水道水を飲んでみる。

ペットボトルの水と正直あんまり違いが分からない。

「今までもこれで行けたんちゃうん?」

楓は予期せず節約術を一つ身に付ける事が出来た。

自炊はしてないに等しい食生活だった。

冷蔵庫に有るのは、ジュースやドレッシング、溶けるチーズ、マーガリンくらい。

でも、肝心のパンを食べてしまった後では、マーガリンも溶けるチーズも役に立たない。

最後にコンビニ行った時に、インスタントラーメン買おうか迷って、エコバッグを忘れて来たので、手で持つのもみっともないしと思って辞めたのが悔やまれる。

「レジ袋代3円くらいケチるんや無かった…。」

「お腹空いた。ご飯炊いてもおかずが無いし…。卵が有ったら卵かけご飯にして食べるのに。卵も無いし…。」

スマホで『ご飯、溶けるチーズ レシピ』で調べてみる。

結構色々出て来た。

その中で一番簡単な、〝炊いたご飯に溶けるチーズを乗せてちょっとだけチンして、醤油とマヨネーズを混ぜる。〟ってのをやってみた。

「ヤバっ。激ウマなんやけど!」

楓は予期せず新しいレシピを一つ身に付ける事が出来た。

「なんか、あたしむっちゃ賢くなってんちゃうん?こういうの、アップデートしたって言うんちゃう?」

茶色いドロドロのご飯をかき込みながら、悦に入っていたら、インターホンが鳴った。

宅配のお兄ちゃんが大きな段ボールを持って立っていた。

大阪の実家から送ってもらったのが届いたのだ。

「パパ、ママ、グッジョブ!」

勢い込んで開ける。

亜希子が作ってくれたおかずの数々がタッパーに入れてある。
「やったぁ。ホンマに豚の角煮入れてくれてる。」

インスタントラーメンも10個も入っていた。
「全部種類違う。これ絶対翔が買うて来てくれたんやわ。あの子はホンマにこういうとこ気が回るんよな…。」

インスタントのカレーも有る。
ちゃんとお米もジップロックに入れて一緒に入れてある。

「これでご飯さえ炊いたらしばらく困らへん。」

何故か大阪銘菓の月化粧も入っていた。
「これ絶対パパ。わざわざ買うて来たんかな。なんであんなに月化粧好きなんやろ…?」

他にもマスク、除菌用ウエットティッシュ、アルコール消毒液、ティッシュ

ドラッグストアで買い込んで来てくれたのだろう。
大きな段ボール一杯、隙間無く物が詰められていた。

一番上には手紙。

てっきり亜希子からだと思ったら、なんと竜一からだった。

『楓。何にも心配せんでええ。ほやけど、帰って来たいと思たらいつでも帰って来たらええ。パパは待ってる。』

「帰らへんって喋ったのに…。ホンマにパパは楓に甘いねんよな…。」

一つ一つ取り出しながら、楓はなんか泣きそうになって、部屋にあるティッシュでは無く、送って来てくれたティッシュを開けて鼻をかんだ。

自宅待機中、何気に役に立ったのが、翔が送ってくれたお笑いDVDコレクションだった。

『姉ちゃんへ。これでも見て暇つぶして。けど、絶対にキズ付けたりせんといてな。貸すんやからな。あげへんしな。』

全く信用されてないと思いながら、アインシュタインにすべらない話、M-1グランプリの翔コレクションを鑑賞する。

一人部屋で爆笑しながら、やっぱり誰かと出会って喋りたいと強烈に思う。


同じ頃、療養する為に用意してもらったホテルで缶詰生活を送っていたアニキ。

もう熱は下がった。

でも、支給されるお弁当を食べても味が分からない。

これは、食べる事に人一倍気を遣って、大切にして来たアニキにとって、かなりの苦痛だった。

「あ~。このまま味が分からん様になったらどうしよう。参ったな。しんどいわぁ……。」

元気付けようと連絡して来てくれる後輩や仕事仲間と話したり、lineのやり取りしてる時だけは、一時頭から不安が消える。

でも、一人切りの時間は膨大だ。
油断すると、不安が勝手に襲って来る。

おまけに匂いも分からなくなっていた。

素敵な香りのボディークリームを塗りたくり、洗濯洗剤も香りで選び、香水に命を掛け、舞台の袖で香水の虹の下をくぐってから「ど~も~。」と出て行ってるアニキなのに。

匂いが分からない。

それはすなわち、『美魔女芸人存続の危機』

アニキは自分の部屋から持ち込んだ香水、ボディークリーム、お気に入りのシャンプーにリンス、洗濯洗剤をホテルの小さなテーブルに並べながら、自分の方向性を見失う不安と闘っていた。



つづく。