隣人のその先。その⑪【脳内アニキvol.26】

楓が自宅待機に入ってから、5日目。

何にもする事が無い状況にも慣れて来た。

とりあえず食べ物には困らないだけの物を実家から送ってもらった。

細々とした足らない物は幾つか出て来たが、それもあと2日の辛抱と思えば何とかやり過ごせた。

ただ状況には慣れたが、心が慣れない。

毎日毎日ちょっとずつ一日が長くなって行ってる様な気がする。

詩織や大阪の友達と電話で話してるとその時は気持ちが紛れる。

でも会話してる時わずかな間が空くと、「迷惑がられてるんかな?」とか、「鬱陶しいって思われたかな?」とか、今までの楓なら感じなかった不安が入り込んで、自分から電話を掛ける勇気が段々出て来なくなった。

ゆずるには2回電話した。

自分は陰性なのに、コロナウィルスにやられてしまった同志の様な安心感があって、友達に電話するより気が楽だった。

でも2回電話してみて、楓にはもうあまり喋る事が無い事に気付いてしまった。

実家から送ってもらった荷物の事。
この前自分で作った料理(?)の事。

ゆずるは「おお、良かったやんけ。」とか、「へえ~、偉い偉い。」とか、自分の話をちゃんと聞いてくれる。

それが嬉しい。

もっと話したい。
もっと笑ってもらえる様なエピソードトークだってしてあげたい。

でも、ずっと部屋に居る楓にはもうそれ以上のネタが無い。

「何か面白い事起こらへんかな…。」

楓は一日に何回もこう呟く様になっていた。

時間だけはたっぷりある。

アインシュタインが出ているテレビも、過去の放送まで遡って一杯見た。

有名な芸能人と一緒にテレビに映るゆずる。

ゆずると話せる様になった頃は、テレビに出ているアインシュタインを見るのが堪らなく楽しかった。

こんな有名人と自分はプライベートで話している。
隣に住んでいる。

ロケに出ている二人の後ろを、一般人が遠巻きにゾロゾロ付いて行ってるのを見ると、「あたしはゆずるの隣に住んでるんやで。」って言いたくなる優越感に浸れた。

でも、たった何日間か会えなくなって、テレビで活躍しているゆずるをずっと見てたら、他に知り合いも居ない東京のマンションの一室で、じっとしてるだけの自分とは別世界の人の様な気がして来て、何と説明したらいいのか分からない寂しさに襲われる。

早く帰って来て欲しい。

そしたら、前みたいに部屋の前に飛び出して行って、「お帰りっ!」って全力で言う。

ちょっとずつ遠くに行ってしまうゆずるを捕まえときたい。

電気も点けずにテレビの中で笑うゆずるを見ながら、楓は抱えていた膝の間にギューッと顔を押し込んだ。

何か鳴っている。

スマホが光っていた。

翔だ。

楓「もしもし。」
翔「姉ちゃん、どうしてんの?」
楓「どうもしてない。」
翔「何か元気無いな。やっぱり退屈過ぎてしんどいんや。」
楓「うん。一日がむっちゃ長い。」
翔「ゆず兄と電話したんやろ?ゆず兄何て?今どんな感じなん?」
楓「あんたあたしの心配やなしに、ゆずるの事が聞きたいだけやん。」
翔「だって僕はゆず兄とは喋れへんもん。姉ちゃんは直接喋れてるやん。むっちゃ羨ましいわ。」
楓「そんな単純なもんと違うで。」
翔「何が?どうゆう事?」
楓「ま、あんたには分からへんわ。距離が近いからこその悩みって言うの?」
翔「むっちゃ隣人自慢かまして来るやん。」
楓「そんなんちゃうわ。あたしはゆずるに何してあげれるんかなと思ってさ。」
翔「言うてる台詞が彼女のやつやん。」
楓「彼女みたいなもんやん。」
翔「絶対ちゃうわ!姉ちゃん怖いわ。」
楓「彼女やない事くらい分かってるわ。けど、何かゆずるを楽しませたいって言うかさ、あたしゆずるの笑ってる顔が見たいねん。」
翔「言うてる事、むっちゃ太い客みたい。」
楓「なんやのよ、さっきから。電話切るで。」
翔「ごめんごめん。何か羨ましいてイジってしもてん。なあ姉ちゃん。笑ってくれるかどうか分からんけど、退院祝い、ちゃうか、入院してる訳や無いから…、復帰祝い渡したら?」
楓「復帰祝い?ホンマやな。それいいやん。全然思い付かへんかったわ。けど…アカンやん。外に出られへんし、買いにも行けへんやん。」
翔「姉ちゃんは24日には外に出れんにゃろ?」
楓「うん。」
翔「なら、ゆず兄も多分同じはず。」
楓「何であんたがそんな事知ってんの?」
翔「ゆず兄がコロナなってから、むっちゃニュースとか見る様になってん。コロナ罹った人はどれくらい隔離施設に入ってんのかとか。それで行ったらゆず兄が出れんのは一番早くて24日のはずやねん。」
楓「そうなんや。そこまでハッキリゆずるは言うて無かったけど…。」
翔「電話して聞いてみ。多分僕の読みは合うてると思うで。」

それから、翔と復帰祝いは何が良いか、あーでも無いこーでも無いと盛り上がった。

ゆずるのお気に入りのブランドのTシャツを買う。
もしくはブランドのバッグを買う。

楓の提案は、どれもバイトもしてない親の仕送りで生活してる楓には高額過ぎて、ゆず兄の性格やとあんまり刺さらないと翔に却下された。

じゃあ、犬が飼いたいってテレビで言ってたから犬は?と言ったら、ペット買うなら自分で買いたいやろとこれまた却下。

それなら、楓が手料理振る舞うってのは?と言ったら、それだけは勘弁したってくれと失礼な言われよう。

でも、翔とゆずるの事を話すのは無茶苦茶楽しかった。

そして、ゆずるに電話した。

楓「ゆずる?今いい?」
アニキ「おう、構へんで。」
楓「もうホテル出られる日決まった?」
アニキ「う~ん。順調に行ったら24日に出て、仕事復帰が25日かな。」
楓「え?やっぱり24日に出れんの?」
アニキ「やっぱりって何?まだ分からんけどな。明日の体調チェックで問題無かったらな。」
楓「翔の読みバッチシやん。」
アニキ「何て?」
楓「ううん。こっちの話。ゆずる、もしホテル出られる時間分かったら、楓に電話してもらいたいねん。」
アニキ「何で?」
楓「何でって…。一番最初に会いたいやん。」
アニキ「ガハハハハ。そんなんええって。隣に住んでんねんから、そのうち会えるって。」
楓「いいから電話ちょうだいって。」
アニキ「ああ、ほんなら忘れへんかったらするわ。」
楓「絶対忘れんとってな。」
アニキ「はいはい。」


明後日、ゆずるが帰って来る。

「やったぁ。」

カレンダーの24日の所に、赤のマジックで💮を書いた。



つづく。