年賀状一枚 (その四) 『劇場に罪はない』

4630組の敗者を生んで、M-1グランプリ開幕。

例年より30分放送時間を延長した分、審査員のコメントに時間が割かれた。
それは後の舌禍事件を引き起こす事になる。
本来ならもっと賞賛されるべき霜降り明朝の優勝。
なんだか主役が舌禍事件に移って、横道に逸れてしまったのは本当に残念だった。

改めて
霜降り明朝、優勝おめでとう。

和牛の方が上だったんじゃないかという声を気にする必要はない。
確かに上手さでは和牛の方が上かもしれない。
でもあの時、あの舞台で、一番勢いがあって弾けていたのは、霜降り明朝だった。
本当におめでとう。

時は流れて、クリスマス前の師走。
私の職場は一年で一番忙しい時期を迎える。
それでもシフトを調整して劇場に通った。
ある不安を抱かえながら。

『好き勝手な事をツイートしたり、ブログに書いたりして来たけれど、〝なんやねん、このおばさん。鬱陶しいっ〟って思われてるかも。』

でもどういう風に思われても、私は劇場に通うようになって楽しかった。
どの洋服を着て行こうか。
座席はどの辺りに座ろうか。
考えるとちょっとドキドキして、気持ちが上がって楽しかった。
そしてお腹の底から笑う。
こんな幸せな時間を過ごさせてもらってありがとう。
お世辞抜きにそう思ってた。

2018年私のベスト3
1位👑 『ZeppなんばのマンゲキFES』
あれだけの若手芸人さんが居るという事実にびっくり。
そしてあれだけのファンを巻き込んで、4時間乗り切った事。
演者、裏方さん。皆に拍手。
ただあの猛暑の中、リハーサルがあれだけ押したのは猛省すべき。
外は大変だった。
座り込む子も居た。
ここで倒れたら中止になっちゃうよ。皆頑張って。
そんな気持ちで頭痛と闘いながら祈ってた。

2位👑 『アインシュタイン、見取り図、ヒガシ逢ウサカの4/4』
純粋に楽しかった。
ずーっと気になってたヒガシ逢ウサカを生で観れた。
今井君のハンパない身体能力にびっくり!
高見君のMC力に感心。
頑張れ~!ヒガシ逢ウサカぁ~!って思った。

3位👑 『稲ちゃんと木﨑君のトークライブ』
木﨑君の小っちゃさ!
もっと神経質で完璧主義なんかと思ってたら、そうでもなかった。
ただの気にしい?
稲ちゃんと二人して、似た者同士のええコンビ。
これをきっかけに、木﨑君は私の格好の餌食になった。

そして私は、またしても性懲りもなく、感謝の気持ちを込めてお米を贈った。

アインシュタインにはおうちの分も。
稲ちゃんという唯一無二の存在を生んで育ててくれたご両親にも感謝したい気持ちだった。
アニキのお母さん。
私の想像なんて全然届かないくらいのしんどい想いして来られたはず。
私達は神様とご先祖様に、その年獲れたお米の一番良い物をお供えして新年を迎える。
神様とご先祖様のおかげで今年一年無事過ごさせて頂きました。
来年もどうぞよろしくお願い致します。と。
ちょっとは田舎のお正月気分を味わって欲しかった。偉そうやけど。

ヒラメキラジオにお米を贈った時とは比べものにならないくらい、年末の私は忙しかった。
本当はもっと可愛い袋を用意したり、丁寧な文字で色々工夫したかった。
100円ショップに走る時間もなくて、有り合わせの物で走り書きしか出来なかったのが後悔。

でもそんな後悔は可愛らしいものだった。
またしても贈った事自体を後悔する事になった。

私は自分の勝手でお米を贈ったくせに、それに対して何のリアクションもなかった事に未だに囚われていた。
自分の余りのしつこさ小ささに、自分自身に反吐が出る想いだった。
もう切り換えたかった。
あれはどういう事だったんだろう?
ちゃんとアニキと稲ちゃんには、食べてもらえたんだろうか?
その答えが欲しかった。

だから、手紙に『年賀状ちょーだい。』と書いた。
このたった8文字を書くのに散々逡巡した。
普段私は人に〇〇が欲しい。となかなか言えない。
かましいと思われないか?
相手はこれを贈ったらどうだろう?と思ってるのに、私の欲しい物が全く違ったらどうしよう。
予算ってどれくらいなの?
自分の欲求より、相手への気遣いに疲れてしまう。
素直に言えばいいのに。

そして年賀状にこう書こうか、かなり迷った。

もし気持ち悪いと思ってるなら、
「気持ち悪い」に〇を付けて。
イヤ、そんな事ないよ。なら
「届きました」に〇を付けて。

でも書こうとして、余りに惨めで辛くて止めてしまった。

私の宛名まで印刷した年賀状。
別に気の利いたコメントなんていらなかった。
普段死ぬ程書いてるサイン一つで良かった。
これなら時間も取らせず、負担にもならないかな…。そう考えて、ちょっとの恥を忍んで入れておいた年賀状。

三が日を過ぎても届く事はなかった。
「年末年始、カウントダウンもあったし忙しかったもんね…。」
でも四日目くらいから、「あ、これはないな。」と思い始めていた。
送り返す気があるなら、四日も五日も過ぎて送るような事をアニキはしない。
6日になると、ポストを開ける前に「期待しない期待しない。」と心の準備をしないと怖くて開けられなかった。

1月7日は私の52歳の誕生日。
いつも朝は母の作ってくれた七草粥で迎える。
そして一年頑張った私へのご褒美に出掛ける。

今年の誕生日は、劇場で漫才を堪能して、帰りの電車を気にせず美味しい夕ご飯食べて、温泉入って眠る。
これほどの贅沢があるだろうか。
計画立ててた時は、最高の誕生日になるとワクワクしてた。
まさかあんなに辛い気持ちで過ごす事になるなんて思いもしなかった。

どこかで「もしかしたら…。」と思ってしまって、7日の仕事終わって駅に向かう前に、ポストを見る為にわざわざ家に帰った。
やっぱり年賀状はなかった。
帰って来なかったら良かった…。

劇場に向かう電車の中。
ずっとグルグル考えた。
たった一枚の年賀状さえ送ろうと思えないってどういう事なんだろう。
どのファンにも平等に。そういう事なんだろうか。
でもそんなに頑ななルールがあるとは思えない。

そこまで考えて、私は大きな思い違いをしてた事にやっと気付いた。

何が送られて来たのかではない。
誰から送られて来たのかなんだと。
例えどんなに高価な品物であっても、どんなに想いのこもった物であっても、良く思ってない相手からだとしたら、嬉しいはずがない。
だとしたら、私はなんてバカだったんだろう。

そんな事に頭は回らず、梱包してる時は本当に楽しかった。

何故アインシュタインだけでなく、祇園と見取り図にも贈ったのか。

祇園は、漫才も勿論好きだけど、二人に共通する〝品の良さ〟が私は一番好きだ。
ご両親に大切にちゃんと育ててもらったんだろうな。と感じさせる品の良さが二人にはある。
いつもTwitterでクソミソなツッコミを入れてる木﨑君には、ゴメンね。の意味も込めて。
かなりのUSJフリークの櫻井君。
やっぱ関西に住んでてユニバに行かないってのは、損してるんかな?とInstagramで思わせてくれる。

見取り図の笑いのセンスの良さに参っている。
何処から出てるの?とやたら気になる甲高い声で、ボケ倒すもりし。
汚れキャラだけど、なんだかんだ言って性格の良さが見え隠れして、そのギャップが面白い。
リリーさんには、私には絶対無いシュールさみたいなものがある。
シュールさという表現が合ってるのかどうか分からない。
いつもいつもリリーさんの魅力をちゃんと言葉に出来ない自分がもどかしい。

お米を梱包する前。
なんて書こうか。
あー、もっと気の利いたセンスのいい便箋とか買っとけば良かった。
これくらいの量でいいかな?
色々試行錯誤する時間は、そのままワクワクする時間でもあった。

楽しければ楽しかっただけ、落ち込みはハンパなかった。
どういう気持ちで劇場に向かえばいいのか分からなかった。

劇場でアインシュタインが出て来た時。
泣かないようにするのが精一杯だった。
泣かないように、泣かないように、漫才中一生懸命他の事を考えて、意識を集中しないようにして。
何の為に私はこの座席に座っているんだろう。
惨めで打ちひしがれて、下を向かないように必死で耐えていた。
楽しみにしていたアキナも和牛も、もしかしたら一緒にバカにされてたんだろうかとよぎってしまって辛かった。

どうかしていた。
冷静に考えれば、私はどうこう思われる程の特別な存在ではない。
何万何十万何百万人のファンの内のただの一人。
そう冷静になろう。

でも御堂筋ホテルのお風呂に浸かりながら、やっぱり泣いた。

お米に可哀想な事をしてしまった。
私はずっと「なんでお米なんか贈ってしまったんだろう。」と思ってた。
お米なんか…。なんて思うのはお米に失礼だ。

お米に罪はない。

私が父の後を継いで、お米作りに乗り出した時。
無農薬米の田んぼで草取りの体験会を行った。
その時に泥だらけになりながら、参加してくれて
「こんなに大変な思いして作って下さってるんですね。これからはもっと大切に食べさせてもらいます。」と言って、ずっと注文し続けてくれているお客さん。
いつも玄米で食べてくれているお客さんからの「石が混じってました。」との電話。
平謝りし、それからは全部ピンセットで選り分けて送るようにした。
その為に少し発送に時間がかかってしまうと説明すると、「気にしないで下さい。待ってます。」と言ってくれる。
私が向き合うべきなのは、そういうお客さんだったはず。
ちょっと変わった贈り物をして、気を引く為に、私はお米を利用した。

その報いが来ただけだ。

もう傷付きたくないなら、対処は簡単だ。
もう送らなければいい。
ただそれだけの事。

明日はイエスシアターでのアインシュタインの新ネタ3本。
漫才劇場よりも小さいハコで、どんな顔をして観に行けばいいんだろう。
ちゃんと笑えるんだろうか。
そんな複雑な想いで、それでも何故私は劇場に行くんだろう。

だって 劇場に罪はない。

幕が上がる。
マイクが置いてある。
私は客席から拍手を送る。
漫才が始まる。

この繰り返しがきっと笑顔を取り戻す一番の近道。

そう。
劇場に罪はない。