『手を合わす心』

昨日書き切れなかった話を一つ二つ。

五重作礼で法会に立つおっさん(和尚さん)は、だいぶ体重を落としていた。
五重相伝の時は、檀家のみんなが「おっさん贅沢なもん食べ過ぎや。」と陰口を言うくらい膨れてた。

礼拝(らいはい)と言って、「南~無~阿~弥~陀~仏ぅ、南~無~阿弥~陀ぁ~」と唱えながら、立ったり座ってお辞儀したりを繰り返す動きがある。
五重相伝の時、おっさんは礼拝の途中で立ち上がれなくなって、他のお坊さんに肩を担がれて中座してしまった。

読経の最中に息が絶え絶えになり、脂汗が噴き出て、とにかく苦しそうだった。
おっさんこのまま倒れて自分がお経あげてもらう側になるんちゃうかと、見てたら心配になるほどだった。

その時の事を五重作礼の中で話してくれた。

おっさんは「心室細動」を患っていたそうだ。

心臓は微弱な電気によって動いている(拍動)。
その電気が普通の状態の3倍の量の電気が流れてしまっていて、通常1分間に60回~80回の拍動が、おっさんは最高で275回も拍動していたのだと。

「しんどっ!」

五重相伝が終わってから(そもそもその前に手術を勧められてたらしい)、即入院、手術。
その手術中にやたら看護師さんが名前を呼ぶのを「ウルサいなぁ…。」と夢うつつでボンヤリ思ってたら、無呼吸症候群が手術中に発覚。
測ってみたら、最大二分半呼吸をしていなかったのだとっ!

「よう今まで生きて来れたなっ!」

心室細動の手術をし、呼吸器科で治療を受け、なんとかかんとかカムバック。

ところが去年、痰に血が混じっているのに気付き、掛かり付けの医者にその事を告げると、即検査入院。
結果は咽頭癌。
しかも、喉の奥の非常に手術するのは難しい箇所に癌が出来ていて、手術は一旦喉の所で頭を切断し(ギョエっ!)、腫瘍を取り除いてからまた頭を乗せて繋ぎ合わせる方法しかないのだと。
オマケに今まで術例は海外で1件だけ。
もしおっさんが手術したら、日本初世界2例目の手術。
「やりますか?」と聞かれ、無難な放射線治療を選んで、食事も喉を通らない様な辛い想いを経て、無事生還出来たと。

「う~ん。大門未知子がホンマに居てくれたなら。」

今日皆さんの目の前に立てて、お説法をさせて頂けるのも、点滴が落ちるのに合わせて「南無阿弥陀仏」と唱え、やっと食事が出来る様になると、手を合わせて「南無阿弥陀仏」と言ってから食事をよばれる。
このようにして、いつもお念仏と共にある事を心掛けていたお陰で今日があるのです。

と、全てが綺麗に回収されて、聞き終わった時拍手を送りたくなるほどの素晴らしいお説法をしてくれた。

「おっさんのお経は有り難みが違う。」とお葬式に参列した他宗教の人から言われる程、朗々とした素晴らしい読経のおっさん。
オマケにお説法も上手なので、あちこちのお寺から法話に呼ばれる。
お経もお説法もめっぽう上手。
他の檀家さんに自慢したくなる様なおっさんなのだ。

子供の頃、毎週日曜日にお寺で〝日曜学校〟と題した勉強会に通っていたあたし。

みんなでおっさんが弾くオルガンに合わせて浄土宗の色んな歌を歌ったり、お経を声を合わせて唱えたり。
結構楽しく通っていた。
いつも教わるのは、『手を合わせる心』

あたしの住んでる在所は約200軒近くある。
それを昔の道(街道)で六つに区切っている。
あたしの街道は、田んぼを挟んで500メートル程離れた山裾の20軒足らずの家。
五重相伝を行っている法蔵寺とは別に、極楽寺というお寺を構えていて、お寺でお勤めがあると、おっさんが出向いて来てくれる。

ある年、極楽寺の改修工事の為、法蔵寺に移って頂いていた阿弥陀様や仏像を、極楽寺に戻す開眼法要が営まれた。

小学生だったあたしは近所の子達と川の橋の上で遊んでいた。
目の前をきらびやかな袈裟を着て念仏を唱えているたくさんのお坊さんや、お仏像を抱えた村の人達の歴史絵巻みたいな大名行列が通り、心の中で「手を合わせなきゃ。」と思ったのにも関わらず、周りのみんながテンション上がってキャッキャ言ってる中で、一人静かに手を合わせるのが恥ずかしくて出来なかった。

するといつも優しいおっさんが、あたし達の目の前を通る時、もの凄い怖い顔で「手を合わせなさいっ!」と叱責したのだ。

慌ててその場に居た全員合掌して見送った。

「おっさん、あたしはあたしは最初から手を合わせようと思ってたんですぅ…。」
おっさんに言い訳に行きたい衝動に駆られながら、大名行列を見送ったあたし。

この時の後悔がよっぽど強かったのか、今でもハッキリ映像で覚えていて、あれから40年以上経つのに、おっさんを見るとあの時の言い訳がしたくて仕方が無いあたしなのである。

「執念深さはこの頃からやってんな。」

おっさんの有り難いお説法を聞いた後、別のお坊さんが目の前に立って、お昼ご飯を食べに一旦解散するあたし達に、お食事いただく前に手を合わせて「南無阿弥陀仏」と唱えて下さいね。
五重相伝の時に毎日お念仏をあげると皆さんはお約束したんですよ。と話される。

「ほんなもん、すっかり忘れている。」

そっか。
せめて今日から「頂きます」の前に、「南無阿弥陀仏」と1回唱えて手を合わせてから感謝してご飯をよばれよう。

固く誓って自転車を漕いで家に帰った。

自転車の行き帰りもあるので、家で休憩出来るのは正味40分弱。
お寺の本堂は寒くて身体が冷え切ったので、温かい服装に着替えよう。
午前中に届いてるlineやメールの返信を打たなきゃ。
そんなこんなでバタバタしながら、また自転車を漕いで法蔵寺に戻った。

自分の席に着いて、阿弥陀様のお顔を拝した瞬間思い出した。

「あ、ご飯食べる前に南無阿弥陀仏言うの忘れた。」
なんなら、「頂きます。」も言うてないわ。

念仏と共にある暮らし。

おっさん。
あたし、もう一度日曜学校からやり直します。