五重作礼(ごじゅうさらえ)

今日は一日朝からお寺で五重作礼(ごじゅうさらえ)だった。

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平成22年に五重相伝を受けた。
五重相伝とは、浄土宗のお念仏の教えを、お寺側が壇信徒に五つの順序に従って伝える法会の事。
五日間に渡って行われて、最後に戒名を授かる。

五重作礼とは、その教えて頂いた教えをお寺で一堂に会しておらさいしましょうというもの。

8:30から16:30まで、お昼ご飯の1時間を除いてびっちり。
97名もの参加者だった。

五重相伝はお寺にとっても、何十年に一度(五十年くらいが多い)の一大行事。
もうあれから9年も経つのか。

平成22年の五重相伝の時には、一緒に並んで受けた同級生で、これまた独身のTちゃんはもう亡くなって居ない。
あの時はTちゃんと色んな事話したのになぁと、少し寂しかった。

Tちゃん は 同じ在所の同級生。
あたし達の在所は凄く大きいのに、丙午のあたしの同級生は5人しか居ない。

Tちゃんは、中学校では同じソフトボール部で、大の阪神ファンで癌友達でもあった。

高校に進学してからは、ほとんど顔を合わす事が無くなった。
それが38歳の時だったと思うけど、T ちゃん がうちのお店にレンタルに来てくれて、久し振りに話した。
その時の第一声が忘れられない。

「真理ちゃん、あたし乳癌になってよ。手術してん。」
「ええっ。」

びっくりしているあたしに、胸にシコリがあるのに気付いたけど、お金が無いから放っておいた。
でも職場のおばさんに喋って触ってもらったら、びっくりされて
「直ぐに病院行かなアカンっ!」と怒られて、病院に行ったら乳癌で直ぐ手術になったと話してくれた。

幸い綺麗に腫瘍は切除出来て、もうその時には、仕事にも復帰していた。
Tちゃんがその時に言った言葉。

「真理ちゃん、検査受けいや。あたしら独身で出産してへんから、どうしても乳癌とか子宮癌になり易いねんて。」

勿論、毎年欠かさず検査は受けてたけど、この時Tちゃんに出会ってから、乳癌検診に対する心構えが全く変わった。

そのT ちゃん が もう居ない。

去年、コンビニでばったり出会ったT ちゃん は 、再び衝撃的な事を言った。

「真理ちゃん、あたしまた乳癌になってよ。今度は反対側。もう先生にまた出来たら嫌やし、今度は全摘して下さいって言うて取ってもらってん。」

そう言って丁度退院して来たとこだと笑ったT ちゃんは どこまでも明るかった。

その約10日後だ。
Tちゃんが 亡くなったのは。

朝お母さんが起こしに行ったら、布団の中で冷たくなっていたという。
あんなに元気に笑ってたのに。

死因は乳癌では無くて、心不全だろうと聞いた。

こんな事ってあるんか…。
普段あまり女の子らしい格好をしなかったTちゃんの遺影は、歳の離れた妹さんの結婚式の時にプロのメイクさんとカメラマンさんに撮ってもらった凄く綺麗な笑顔で、今まで見て来た中で一番綺麗な彼女の姿だった。
だから余計に信じられなくてポロポロ泣けた。

一緒に受けた五重相伝で授かった戒名でお経をあげてもらっていたTちゃん 。
遺影の美しい笑顔を思い出しながらの今日だった。

阿弥陀如来様の真正面の最前列に座る事になったあたし。
午前中は快調。
お昼ご飯を食べに一旦帰宅。
お腹一杯になると眠くなるので、ほんのちょっとしか食べないようにして、午後からの法会。

それでも。
しっかり睡魔に襲われる。

京都のお寺から来られたお坊さんが、ホワイトボードを使いながら法話をされる。
うんうんと頷きながら聞くうちに、時々記憶が途切れる。
最前列なのに。
お坊さんの真正面なのに。

ふと目が覚めてホワイトボードを見たら、赤い文字で『真理』と二ヶ所に書いてあった。
「えっ?何?あたし名指し?」と、
一瞬のけ反った。
『真理(まり)』ではなく『真理(しんり)』の事だった。

びっくりした。(’_’)

ちゃんと法話聞こうと改心した。

その後すぐに終わってしまった。
改心するチャンスはやって来なかった。

家に帰ってから、
はて?あたしの戒名何やったっけ?
と思い、御仏壇の横の掛け軸なんかをしまってある引き出しをゴソゴソ。

有りました。

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『真誉照月』(しんよしょうげつ)

美しいではないか。

産まれた時からあたしの事を知っている和尚さん。
子供の頃は毎週日曜日は、お寺に通ってお経や歌を習っていた。
本山の知恩院にお手つぎ奉仕団に連れて行ってくれた和尚さんが授けてくれた戒名。

五重相伝の時、名前やその人となりにちなんで考えてあって、これだけの戒名を考えるの、和尚さん大変やったやろうと思ったものだ。

五日間お寺に缶詰での法会に出る前は愚痴しか出なかったけど、いざお寺の本堂に一堂で並んで木魚を叩きながら「南無阿弥陀仏」と唱えていると、自然と静かな気持ちになるものだ。

『真誉照月』
この戒名に恥ずかしくないような、美しい女性になろう。

合掌。

イテ。
手を合わせる時、右肩が痛い。
「木魚の叩き過ぎで右肩がどーかなっちまったでっ!」

道、遠し。