勝手に過去になる。

🎤 あの娘がくれた
🎤 ハンカチなんか
🎤 今 この場所で捨てちゃって…
 堀ちえみ / リ・ボ・ン

24時間テレビ堀ちえみちゃんが歌ってるのを、仕事に向かう車の中で見た。

早めに着いたので、車の中で最後まで見て、号泣!

ちえみちゃんが歌い終わって泣き崩れる所で、あたしの涙腺も大決壊!

ボロボロの顔で仕事始める羽目に。

こんばんは。
ウル虎マリンです。




先週CTを撮った診察結果を、昨日加藤クリニックに聞きに行った。

約5年前の9月。

5年前も厳しい残暑が続いてて、二週間程シャワーだけで済ませる日々が続いてた。

久し振りにお風呂に入ろうと湯船に浸かって、「はぁ~。」と身体を伸ばしてふと下を見たら、左乳首が陥没している。

「え?何これ?」

咄嗟に左乳房に手をやると、「コリッ」としたしこりが乳首の下にあった。

この辺の経緯は、このブログの2018/11/26の『神様がいた夜』に詳しく書いているので省略するけど、その「コリッ」とした触感は、あたしに覚悟を促すには十分な硬さだった。

9月の頭にしこりに気付いて、初めて乳腺外来専門クリニックの加藤クリニックに診察の予約が取れて診てもらえたのが、9月半ば。

先生の見立てはグレーで、病理検査に出して診察結果を聞きに行ったのが9月末。

乳癌と診断されて、手術したのが10月半ば。

「コリッ」って存在に気付いてから、怒濤の一ヶ月半だった。

予約を入れて一人で診察を受けに行くまでに、散々乳癌であるシミュレーションをして、心の準備は十二分に過ぎる程して行ったのに、「山田さんの癌は乳首の真下にあるので、全摘出します。」と言われた時の衝撃ったら無かった。

今思うと、なんでその可能性に頭が行かなかったのか不思議でしょうが無い。

乳首の下にしこりがあるのだ。

癌を取り除くのに、乳首だけ切り取ったらドーナツみたいに真ん中が窪んだ乳房になるではないか。

本当になんで全摘出の可能性に頭が行かなかったんだろ?

やっぱり冷静では無かったって事なんだろうか。

よく「なんで私が癌なの?」と思ってしまう人が居るけど、あたしは「なんで私が?」とは全く思わなかった。

逆に「やっぱりな。こう来たか。」って感覚だった。

当時48歳のあたしは、毎日を特に何かを頑張るでも無く、ただダラダラと過ごしてしまってる自分にはふさわしい罰の様に感じてた。

自分の生き方や考え方を、これでいいのか、このままでいいのか、踏み止まって考え直すチャンスを乳癌という形で与えられた。

そんな感覚だった。

あたしはコンプレックスの塊だ。

面倒くさがりを形にしたらこうなったみたいな、のっぺりとして凹凸の少ない顔も、太短い手足のスタイルの悪さも、挙げたらきりが無い。

そんなコンプレックスだらけの身体の中で、あたしが唯一秘かに自信を持ってたのが胸だった。

大き過ぎず、自分が理想とする丁度良い大きさ。

一つのシミも虫刺されの痕も無い綺麗な白さと、控え目な薄い赤みの乳頭や乳輪。

一番自信のある所が、洋服を着ていれば表からは分からない部分なのが、あたしらしくて良いとも思ってた。

全摘出手術を終えて5日後。

初めて包帯を取って病院の浴室の鏡で見た自分の姿を、今でもハッキリと覚えている。

絶対に号泣すると覚悟してたのに、多分こんな感じだろうと想像してた1.5倍醜い傷痕に、自分の感情にブレーキが掛かったのかも知れない。

あたしは泣かなかった。

その代わりに癌組織と一緒に切り取られる事と引き換えに、あたしに健康体を残してくれた左乳房になんだか申し訳無い気持ちになったりした。

もっとあたしがちゃんとしてれば。
もっとあたしが努力を惜しまない人生を歩んでれば。
そうすれば、失う事が無かったかも知れないのに。

何の医学的根拠も無い。
自分を納得させる為の気休めでしか無い。

それでもそんな風に思う事で、膨らみを失って余った皮膚を縫い合わせたミミズ腫れの様な7、8センチの手術痕を、自分の身体の一部として受け入れる為の心のバランスを取ってたのかも知れない。

乳房の全摘出と言っても、痛みはそれ程でも無かった。

「痛い。」と口に出して言った事はほぼ無かった。

7、8センチの胸の縫合痕よりも、リンパ節にも転移してたので、リンパ節を切り取る為にメスを入れた3センチ程の脇の傷の方が痛かった。

それでも、リンパ浮腫にもならず、抗がん剤治療を受けても髪の毛も抜けず、あたしは人一倍元気に1週間で退院して、紆余曲折はあったけど、再び何でもない日常を手に入れた。

全摘出手術よりも30倍くらい痛かった乳房の再建手術を受けて、今は下着を付けて服を着ていれば、あたしの左乳房は偽物だなんて分からない。

再び膨らみを取り戻す為に受けた再建手術で、あたしの左乳房に入れたインプラント(シリコン)は、想像してたよりもずっと硬い物だった。

前屈みになった時に、50歳を過ぎて段々と張りを失って柔らかみを増した右乳房と、同じ動きをしない左乳房。

それでも、そこそこの大きさの有る右乳房と、真っ平らな左胸とのアンバランスさに、身体に沿ったラインの洋服が着られなかったり、重みを失ってブラがずり上がったり、日常生活を送れる事に比べればなんて事も無い些細な不満を、硬い膨らみは消し去ってくれた。

通院の度に、再発していないと言う結果を手に入れてホッとしていたのも最初の1年くらい。

後は自分が癌患者である事なんか忘れていられる程、あたしは元気になった。

癌の再発を防ぐ為に、1日に1錠だけ飲むトレミフェン。

女性ホルモンを餌に大きくなるタイプのあたしの癌に、女性ホルモンの分泌を抑える効果がある癌治療薬だ。

先生に「副作用としては、皺が増えたり肌の張りが無くなったり、え~一言で言えば老けます。」と言われた時の衝撃。

自分の命を食いつなぐのと引き換えに、飲む度に若さを失う治療薬。

30代40代の時のあたしは、見た目より若く見られるのが常で、それはあたしにちょっとした自信を与えてくれていた。

この5年での見た目の変化は、乳癌になる前の5年とは比べ物にならない。

スーパーのエスカレーターの鏡に映る自分の姿。
トイレに行って手を洗って顔を上げた時に目に入る自分の姿。
車を運転していて、ふと目に入った手の甲。

年相応に、もしかしたら実年齢以上に老け込んでしまった自分を直視するのは、辛い。

あたしは他人に自分の事を話す時、「おばさんはね…」とは絶対に言わない。

小さな子供に向かっても、「おばちゃんはな…」とは絶対に言わない。

自分で自分の事を「おばちゃん」と呼ぶ度に、一足飛びに本当に老けて行きそうな怖さと、そう平気で呼んでしまったら、女性としてのプライドも一緒にくすんでしまいそうで、呼びたく無いと言うちっぽけな抵抗だ。

瞼の筋肉が衰えて、アイラインが瞼を持ち上げないと上手く引けない毎朝。

からしっかりブルーになる。

でも、ちえみちゃんの歌うリボンを聴いた時、それがどんなに贅沢な悩みなのかと思わずにいられ無かった。

あたしの通過して来た痛みなんて、きっと比べ物にならない。

舌に口内炎一つ出来ただけで、一日痛さと不自由さに顔を歪ませているのに。

舌を切り取り、身体の他の部位を移植する手術。

あたしに耐えられるだろうか。

あたしは、多分他の人が想像してるよりずっと硬いシリコンを入れる事で、元のあたしを取り戻せた。

でも、歌が大好きでそれを生業として脚光を浴び、今も根強いファンが居る歌手堀ちえみならではの、元の様に喋るのは難しいと知った時の衝撃、どんな気持ちだっただろう。

勝手に分かった様な事を書くのもはばかれる。

でも、移植した皮膚が盛り上がっているので、音を出すのもぶつかってしまって難しい現状を、根気よく根気よくリハビリを続けて、24時間テレビの舞台で歌うところまでこぎ着けたちえみちゃん。

音程は完璧だった。

勿論聞き取りにくい発音の所もあった。

でも、喋っている姿から想像していた歌声の数倍、素晴らしい歌声だった。

アイドル時代、数々の賞を受賞して、自分の名前を呼ばれる度に、泣き出してしまって、ちゃんと歌えなかったちえみちゃんは居なかった。

最後まで、泣き出しそうになるのを堪えて堪えて歌い切った後に、泣き崩れたちえみちゃんと共に、あたしも号泣した。

ちえみちゃんみたいに、努力に努力を重ねる辛抱強さをあたしは持ち合わせていない。

根気も無い。

この5年。
怠け切ってここまで来てしまったなと言う反省の気持ちを、久々に湧き上がらせてくれたちえみちゃんの歌声だった。

CT検査の結果は異常無しだった。

リンパ節に転移していたあたしは、もう5年は経過観察が必要と言う事だった。

5年後。

あたしはまた、怠け切ってここまで来てしまったと反省している様な気がする。

人間なんてそうそう簡単には変わらない。

痛い時、辛い時、前を向いてと言われてもそんな簡単には行かない。

未来を見据えて着実に一歩一歩踏み出して行ける人と自分を比べて落ち込んだりもする。

でも、あたしは53年生きて来て、怠け者のあたしなりの処世術を見つけた。

どんなに今日が辛くても痛くても、明日になれば勝手に今日は過去になる。

努力をサボっても、痛みに愚痴をこぼしても、生きてるだけで勝手に過去になる。

前を向けなかったら、後ろを振り返ってみるといい。

1週間前と比べたら、傷痕の赤みが薄らいだ。
この前より動いた拍子に顔をしかめる回数が減った。
テレビを見る心の余裕が出て来た。

そういう小さな積み重ねが今日の自分を作っている。

作ろうと努力してなくても、勝手に作られて行く。

人間の身体って、あたし達が思っている以上に頑丈でしぶとい。

怠け者の心をしぶとい身体で包んで、あたしの今日がまた始まる。