自転車かごの石

大阪の小6の女の子が行方不明になって六日目に栃木県で保護されたニュース。

最初一報を聞いた時は、正直最悪の事態を予想し始めてたので、無事保護されて良かったと思うと同時に、ちょっと驚いた。

でも事態が明らかになるにつれて、もっと驚く事になった。

てっきり、車に無理矢理連れ込まれたか、言葉巧みに乗せられたかと思ってた。
まさか、SNS で連絡を取り合って、自ら公園に男に会いに行ったとは。

オンラインゲームやSNS のネット上だけでやり取りした事があるだけで、全く見知らぬ相手に会いに行ってしまう。
あたしの感覚ではあり得ない。

でも、今の子供達にとっては、そんなにおかしな事では無いようなのだ。
小中学生の子供を持つ親達は、愕然としたんじゃないだろうか。

今の時代、被害に遭うのは女の子ばかりとは限らない。
でもやっぱり女の子はいつ危ない目に遭うかも知れないという危機感をちゃんと持っていて欲しい。

あたしも高校2年生の時、凄く怖い目にあった事がある。

演劇部の部活帰り。
時間は夜8時を回っていたと思う。

真っ暗な田舎道を一人自転車を漕いで、家路に向かっていた。

あたしの集落は、県道を曲がって800メートル程走った山裾にある。

今から約35年前の話。
県道を曲がれば本当に真っ暗だった。
街灯も全く無くて、漆黒の闇に家の灯りがポツポツと点いている…。
そんな感じだった。

今なら親が迎えに来てくれるだろうが、あたしが高校生の時はどんなに帰りがおそくなっても、自分一人で自転車漕いで帰るのが当たり前だった。

あの日。

県道を曲がって真っ暗な道を家に向かって自転車を漕いでいるあたしに向かって、1台の車が近付いて来た。

その車はあたしの住む集落からやって来たので、誰かのおうちの人が夜勤にでも行くのかな?とチラッと思った。

そしてその車は、あたしから10メートル程近付いた所で急に停まってライトを消した。

「え?」
ビクッとして漕ぐのを止めた時、運転席が開いて男の人が走って来て、あたしを突き倒した。

一瞬の事で抵抗する間も無く、あたしは自転車ごと倒された。

赤い車だった。
男はクルクルのカーリーヘアで、太いボーダーのTシャツを着ていたと思う。

倒された時、「ヒッ」って声にならない声が漏れたくらいで、悲鳴を上げる事も出来なかった。

あたしを突き倒して、すぐに車に向かって歩き出した男は、車に乗る前に振り返った。
自転車ごと倒れて声も出せずにいるあたしを確認すると、再び小走りにあたしに向かって来た。

その時やっと、「何すんの-ッ」と叫び声が出た。
うわずったひっくり返った声だった。

もうあと一歩まで来ていた男は、あたしの声にびっくりして、慌てて車に舞い戻って、猛スピードで逃げて行った。

あたしは真っ暗な中、散らばった鞄の中身を震える手で掻き集めて、自転車を起こしてペダルを漕ごうとした。
でも足が、足がガクガクして、空回りして上手く漕げなくて、家まであともう少しなのに、もの凄く遠くに感じた。
またもう一度男が舞い戻って来るんじゃないか。
怖くて怖くて嗚咽しながら必死で帰った。

家に着くなりお父さんに
「車が急に停まって、男の人が飛び出してきやって倒された。」と泣きながら言った。
お父さんは
「何やとッ?」
「どんな奴や?車は?」
と怒鳴る様に聞いて来た。
あたしが「赤い車やった。」と言うと、家の中にあった金属バットを掴んで車で飛び出して行った。

小一時間程経って、お父さんは帰って来た。
顔が怒りで真っ赤だった。

「おらへん。もう逃げてしまいよった。」
「ナンバーは見てへんのか?」
「どっから走って来よった奴や?」
と、あたしを質問攻めにした。
覚えてる限りの情報を伝えた。

集落の人で無いことは確かだった。
小さな小さな集落なのだ。
見知らぬ人なんて居ない。

誰かの知り合いなのか?
何でわざわざあたしの集落から出て来たのか?
分からない事だらけだった。

次の日から学校への行き帰り、最寄り駅までお父さんが送迎してくれた。
そしてあたしを乗せて、赤い車が無いか近辺を探し回った。

それは一週間近く続いた。

でもお父さんは忙しくて、毎日毎日の送迎が難しかった。

行きも帰りも車で送迎してくれてたのが、最寄り駅まで帰って来たら家に電話を入れて、帰り始めたあたしと途中で出会ったお父さんの軽トラに自転車を乗せて帰るようになった。
まだ外が明るいと、「自分で帰って来い。」と言われるようになった。

終いには、
「自転車かごにでっかい石を入れとけ。」
「ほんでまた男の車が来たら、石投げたれ。」
と、なった。

あたしは半年くらい、自転車かごにこぶし大程の石を三つ入れて走った。
駅で一緒になった友達に、「その石何なん?」と聞かれ、ちょっと恥ずかしかった。

今でこそ、笑って話せる。
でも本当に本当に怖かった。

あの時、「何すんの-ッ。」って叫び声が出なかったらと思うとゾッとする。

よく「ホンマに怖かったら、何で助けを呼ばへんのか。」と言う人が居る。
でも本当に本当に怖い時って、声なんて出ないのだ。

自転車かごの石を笑われるくらい、何とも無かった。

石はお父さんが拾ってあたしに手渡してくれたものだった。

あの石はあたしにとってお守りだった。
使う場面は訪れず、捨ててしまったけれど。

何故警察に届け出なかったのか?
多分お父さんは自分の手でその男を捕まえたかったのだと思う。

そして、真っ暗な道に街灯が点いた。
お父さんが町内会の役員になって、一番最初にした仕事だった。

こぶし大の石ころだって、親の愛情を感じ取る事は出来る。

スマホから顔を上げて、毎日のお父さんお母さんとのやり取りを大切にして欲しいな。

一生かけても返し切れない程の愛情を注いでくれるもんなんだよ。
当たり前過ぎて気付け無いけれど。