隣人のその先。その⑭【脳内アニキVol.29】

その老人は6時半過ぎにやって来た。

この日楓は、関本店長曰く比較的暇な時間帯の慣らし運転が終わり、初めて夕方5時~10時までのシフトに入っていた。

さすがに混んでいる。
ずっと5、6人の列が途切れない。

その老人はまだ10月だと言うのにニット帽を被り、分厚いフリースを着込んで入って来た。

「いらっしゃいませ。」と声を掛けてチラッと目に入った時、「暑くないのかな?」と楓に違和感を抱かせた。

しばらく立ち読みをした後、老人はレジにやって来た。

楓「いらっしゃいませ。」

老人は何か嫌な事でもあったのかと思うくらい不機嫌そうで、楓はちょっと身構える。

週刊誌とワンカップのお酒、パックに入った茹で卵をドンと置く老人。

楓「レジ袋はお持ちでしょうか?」
老人「チッ。」

え?舌打ち?
聞こえへんかったのかな?

楓「レジ袋はお持ちでしょうか?」
老人「ここに有るだろッ!」

いきなり大声で怒鳴られ、ビクッとなる。

週刊誌をどかせると確かにクチャクチャに丸められたレジ袋があった。

楓「あ、すみません。」
老人「失礼致しましただろッ。」
楓「し、失礼致しました。お会計は811円になります。」

老人は楓に向かって千円札を投げ捨てる様に放る。

楓「189円のお釣りになります。」

コイントレーにお釣りとレシートを置こうとしたその時、老人が掌をグッと差し出して来た。

えっ?
楓はびっくりしてお釣りを引っ込めてしまった。

老人「お釣りはちゃんと手渡せッ。」
楓「え?あ、はい。」

差し出された掌にお釣りを乗せると、引ったくる様にポケットに入れ、そのまま老人は楓を睨み付けて動こうとしない。

楓「あの…。」
老人「さっさと入れろッ!」
楓「あの…袋詰めはお客様でお願いします。」
老人「何をぉッ!」

隣のレジでずっと会計をしていた桜井さんが慌てて飛んで来た。

桜井「お客様失礼致しました。」
そう言って老人が持って来たクチャクチャのレジ袋に商品を入れ始める。

え、なんで?
コロナ感染予防でエコバッグやお客さんが持って来たレジ袋には、お客さん自身で詰めてもらうようにって教わったのに。

桜井さんに「レジ交代しよ。あっちのレジ入って。」と小声で言われたので、離れようとすると更に老人が喰って掛かって来た。

老人「ちょっと待てぇ。お前わしを馬鹿にしてそのままか?」
楓「え?」
老人「こんな汚いじじいの手触ってたまるかってそういう魂胆か?」
楓「え、そんなん思ってません。」
桜井「お客様失礼しました。彼女入ったばかりで、お客様はいつもお釣りは手渡し、レジ袋にはこちらでお詰めすると知らなかっただけなんです。」
老人「そんなら教えとけッ!わしは毎日ここで買い物したってるんだ。それを何だッ。」
桜井「すみません。こちらの伝達不足でした。」

「ちょっとぉ、こっちのレジ早くして下さい。」

もう一台のレジに並んでるお客さんがイライラして呼ぶ。

老人と桜井さんのやり取りを一歩下がって見ていた楓は慌ててもう一台のレジに入ろうとした。

老人「お前、コラッ。わしに謝らんのか?」
楓「あの…。」
老人「私はお客様を汚いジジイ扱いしました。大変申し訳ございませんでしたって謝るのが筋だろうがッ。」
楓「そんな事思ってません。」
桜井「お客様、その様な事は思っておりません。彼女は本当に知らなかっただけです。」
老人「金出して袋買う客にはお前らが入れて、家から袋持って来る貧乏人は自分で入れろ?この店は客を差別するんか?」
桜井「そういう事では…。」

楓はもうどうしたらいいのか分からなかった。

コンビニ中のお客さんがイライラしながらこの成り行きを睨む様に見ている。

もう一台のレジは、商品出しをしていた上本さんって男の先輩が慌てて入ってくれた。

老人の後ろに並んでたお客さんも、上本さんのレジに並び直す。

中にはスマホを出して、動画を撮りかける人まで出て来た。

老人「どうした?謝らんのか?」
楓「さっきから謝ってるじゃないですか!」
老人「何をぉッ!それが客に対する態度か!お前らでは話にならんッ。店長呼べ。」
桜井「店長は本日深夜勤で、この時間はおりません。」
老人「だったら電話で呼べッ。」
桜井「とにかく申し訳ありませんでした。以後この様な事が無いよう、気を付けますので…。」
老人「お前では話にならんッ。店長呼んで来いッ!」

隣のレジでオロオロしながら成り行きを見つつ、レジ対応していた上本さんが、「店長に電話して来ます。」と言ってバックヤードに消えて行った。

「オイッ!早くレジしろよ!」

桜井「すみません。真田さん、あっちのレジ入って。」

楓「え、あ、はい。」

老人「コラッ!お前逃げるんかッ!」

「も~、早くして下さいッ。」
「何でこっちが待たされ無いとダメなんですか?」

もうどうすればいいのか分からない。
楓はどちらのレジにも入れず立ち尽くしてしまう。

バックヤードから上本さんが出て来た。

上本「店長と連絡付きました。すぐに来てくれるそうです。」

上本「お客様、お待たせ致しました。こちらどうぞ。」
待たされてイライラしている他の客に謝りながら、再び隣のレジに上本さんが入った。

老人「どうした?謝らんのか?」
桜井「謝りません。もう十分お詫び致しました。」
老人「何だとォッ!土下座しろッ!私はお客様を差別しました。申し訳ありませんでしたって、その新人と二人で土下座して謝れっ!」

楓は自分が土下座してそれでこの場が納まるなら、もう土下座してしまった方がいいのか、ますますヒートアップして行く老人をなだめるにはどうしたらいいのか、パニックだった。

桜井「土下座する必要なんてありません。土下座しないといけない事なんてしてません。」

桜井さんがプルプル震えながら耳を真っ赤にして必死で抵抗してくれた。

桜井さんが泣きそうになるのを必死で耐えてるのを見てたら、楓まで泣けて来た。

お願い、店長早よ来て。



つづく。