「先生、オーダーと違いますけど?」

日曜日に髪を切った。

有働由美子さんみたいになる予定が、カットしてくれる先生が、あたしのお父さんの思い出話に爆笑して泣いて笑うもんやから、こっちも調子乗ってペラペラ喋って出来上がったら
「あれ?先生もみあげのところは残してって言ったよな?」
「後ろももうちょっと長めって言ったよな?」
な、仕上がり。
かなり短い。
後ろほとんど刈り上がっ てる。

ま、ほっときゃ伸びるから別にいいねんけど。

もう、高校1年の時から通ってるから35年の付き合いになる先生にやたらウケたお父さんの話。

あたしのお父さんは、凄いしつけに厳しい人だった。
特に挨拶にうるさくて、誰々に会うとか言うと、「ちゃんと挨拶せえよ。」と必ず言われた。

小学生の時の学校からの帰り道。
隣の畑にいたおばさんに「ただいま。」と声を掛けて家に入った。
その5分後、裏の勝手口がバーンと開いてお父さん登場。

お父さん「〇〇ーッ!お前今おばさんに挨拶したけっ?」
あたし「した。」
お父さん「したやと?お父さんのとこまで聞こえへんかったでよッ!」
そら、そやろ。
お父さんはずっと離れた田んぼに居たんやから。
けど、激高してるお父さんにこう言ったところで通用しない。
あたし「したもん。」
お父さん「聞こえへんかったら、してへんのと一緒や!もう一回して来いッ!」

おばさんにもう一回挨拶しに行くの、恥ずかしかったわぁ。
全てがこんな調子。

またまた学校の帰り道。

年子のお姉ちゃん達はいつも一緒に居たけど、三つ歳の離れたあたしはいつも一人遊びしてる子で、その日も路肩の白線を平均台に見立てて爪先で歩いたり、クルッと一回転したりしながら帰ってた。

家に帰り着いてランドセル降ろしたと思ったら、またまた勝手口のドアがバーンと開いてお父さん登場。

お父さん「〇〇ーッ!何下向いて歩いてるー?」
いや、路肩の白線を平均台に見立てて歩いてた。とは、なんか恥ずかしくて言えない。
あたし「別に…。」
お父さん「下向いて歩いてなっ!もっと胸張って歩けっ!」
あたし「うん…。」
お父さん「ちょっとここで練習してみぃ。」
あたし「ええっ?ええわ、そんなん…。」

でもこういう時のお父さんに何言っても通じない。
結局六畳の和室の畳の縁に沿って、四週くらい胸張って歩く練習をさせられた。
あんな恥ずかしい事なかったわ。

でもあたしはこのお父さんの厳しさが大好きだった。
怖いけど、大好きで構って欲しくて仕方なかった。

あたしの家は元地主の大百姓で、お父さんもお母さんも田んぼに畑に本当に忙しかった。

今のパパさんママさんみたいに、何処行くのも手を繋いで付いて来てくれるなんて事は全くなかった。
お父さんにもお母さんにも、手を繋いでもらった記憶もないし、抱き上げてもらった記憶もない。
あんまり好きではなかったお爺ちゃんがあたし達子供を見てくれてた。
時代と言えばそれまでやけど。

あたしはその時の空気を敏感に感じ取って読んでしまう、ちょっと妙な子供だった。

これを言っても「お前が3歳までの話や、覚えてるはずがない。」と、お父さんに言われたけど、あたしのお母さんの一番古い記憶は、田植えの手伝いに来てもらった人達に、(昔は手伝ってもらう代わりに賄いを出して、人を呼んでた。)泥だらけの裸足のまま、お茶をくんで回る姿だ。
農耕用の牛も飼ってて、牛に藁を与えるから、自分のご飯は後回し。

そういう姿をずっと見てたので、自然と構って欲しいなんて言ってはいけないと思ってたのか、近所の人からよくこう言って褒められた。
「この子はほんまに泣からへん、手のかからん子やな。」

子供は子供なりに、どうすれば自分が役に立つかを考えるものだ。
あたしの場合、それがお父さんお母さんの手をとらせない。という事だった。

ある日おこたで寝てしまってお父さんが抱き上げて布団まで運んでくれた事があった。
その途中で本当は目を覚ましてたけど、寝たふりを続けた。
子供心にこうすれば抱き上げてもらえるのかと思って、やたら狸寝入りをするようになった。
自分では完璧な狸寝入りだと思ってたけど、真ん中のお姉ちゃんに「また狸寝入りしてやる。」と言われてたから、きっとバレバレだったんだろう。
それでもお父さんは毎回抱き上げて布団に運んでくれた。
あたしの幼稚園児の時の遠い思い出。

もっと「抱っこして。」とか「手繋いで。」って素直に言える子供だったら、こんなに情緒不安定な51歳にはなってなかったかもしれないな。

子供は素直に限る。


風が吹くと襟足がスースーする。
大阪に着て行こうと思ってた服は似合わないな。
コーデ考え直さないと。
いっそ「ザ・少年」みたいな服で行こうか。
洋服から出てる手や顔が、どう頑張っても50代そのものなので、ちょっと奇妙やけど。

構わない。
50歳になった時、『辛気臭い服は着ない』と決めた。
世の中の〝頑張ってるオバチャンは痛い〟みたいな目と、乳癌の治療費に気絶しそうな程お金かかったので、洋服や遊びにお金使うのが申し訳ない気持ちになって、大人しくしてたけど…。

世の中にはこんなにも色んな色や、綺麗な物で溢れてるのに、他人の目を気にして自分の好きな物を身に付けないなんて阿呆臭い。
なんか、50歳になってちょっと吹っ切れた。

オーダーした髪型じゃないのも、ちょっと考え方変えたら面白い。

しばらくこの髪型と遊んでみよう。
大人ぶるのはいつでも出来る。