コーヒー 一杯 4000円
あたしのラブホテルデビューの相手は、自営業の60歳くらいのおじさん社長だった。
当時のあたしは今より太っていて、ピチピチというよりはむっちむち。
派遣社員としてディーラーのメカニックの事務員をしてたけど、何故か営業さんに可愛がってもらってた。
そこに出入りしてたのが、おじさん社長。
ディーラーでは基本、純正部品を使用して修理する。
でも部品自体に少し修正をかけたり、純正部品の納品に日数が掛かる場合におじさん社長が部品を持ってやって来る。
納品された部品の検品はあたしの仕事だったので、自然とおじさん社長と口を聞くようになった。
別に特別な話をする訳じゃない。
「どうや、元気にしてるか?」とか
「毎日暑いなぁー。」とか、そんな他愛もない話ばかり。
メカニックの人達は職人気質の人が多くて、じっくり喋ると面白い人達なんやけど、基本みんなプライドが高いし、口下手な人が多かった。
営業さんとメカニックの間には微妙なライバル意識みたいなのがあって、たまに出方を間違うとメカニックの人達に怒られたりして、あたしなりに結構神経を使ってて、ちょっとおじさん社長に愚痴をこぼしたりしてた。
そんなある日、おじさん社長に
「どや?一回旨いもんでも食べに行こか?」と誘われた。
男の人とご飯行くのに特に抵抗はなくて、むしろバブルの泡がまだ完全に消えてない頃だったので、営業さん達にフランス料理をご馳走になったり、お寿司を食べに岐阜まで連れて行ってもらったりしてた。
その延長戦上で、軽い気持ちで
「行きましょう!何処連れてってくれるんですか?」
と聞くと
「一回焼肉でもどや?」となった。
三人姉妹のあたしは、家族で外食する時に焼肉が候補に上がる事は全くなくて、お肉を食べるなら鉄板焼きかステーキかじゃぶじゃぶだったので、焼肉屋さんに連れて行ってもらえるのは魅力的だった。
「嬉しい⤴焼肉ってほとんど行った事ないんですぅ。」
「ほうか、ほんなら今度仕事終わった後に連れてってあげるわ。」
かくして、二、三日後、あたしはおじさん社長と真向かいで、焼肉屋さん初体験を迎える事になる。
特段綺麗なお店でも、高級なお店でもなかった。
国道沿いのよくある普通の焼肉屋さんだ。
でも、ほぼ初めて食べる焼肉は美味しかったし、お腹一杯ご馳走になってとっても満足だった。
「あ~美味しかったぁ。ご馳走様でした。」
「そうか、旨かったか?」
「はいっ!(笑顔)」
そろそろお会計という頃になって、
「どや?ちょっと一服して行くか?」とおじさん社長が言って来た。
一服?もうお腹一杯で何にも入らへんけど、喫茶店でお茶でもするのかな?と思って
「はーい。」と答えた。
おじさん社長の運転で、琵琶湖岸に向かって走った。
“何処連れてってくれはるんやろう?”
ほどなくして、彦根プリンスホテルが見えて来た。
“えー、プリンスホテルでお茶させてくれはるの?ラッキー⤴”と思ってたら、プリンスホテルの手前で右斜めの道に進んで行った。
“なんや、プリンスホテルじゃないのか。こんな方に喫茶店なんかあるんや。”
あまり土地勘のない道に車は進んで行った。
心の中でちょっと?マークを浮かべたまま、呑気なあたしはおじさん社長にずっと話し掛けてた。
そして
安っぽいネオンがピカピカ光る建物が現れて、車はビニールのシートみたいなのをくぐって入った。
あーれ~~~
なんぼなんでも、そこが喫茶店じゃない事くらい、22歳のあたしでも分かった。
無茶苦茶腹が立って、
「何考えてるんですかッ‼」
「降ろして下さいッ!歩いて帰りますッ!」
おじさん社長は急に猫なで声になって
「怒らんといてーや。ちょっと一服だけして行こう、な?な?」
とめげなかった。
車の中で5~6分言い合いしただろうか。
おじさん社長は
「な、ほしたらコーヒー一杯だけ中で飲もう?そしたら帰ったらええし。な?な?」と粘り倒した。
当時ラブホテル未体験のあたしの心の中に、段々
“ラブホテルって一体どんなとこなんやろ?”
と好奇心がむくむくと頭をもたげて来た。
“一回どんなどこか見てみたい…。”
好奇心が勝った。
それにおじさん社長はあたしからしたら、チョロい相手に思えた。
なんとか切り抜けられる。
ミョーな自信があった。
「ホンマにコーヒー飲むだけですよ。」
「そや。ホンマにコーヒー飲んだら帰ろな。」
初めてラブホテルの扉を開けた。
ラブホテルって、てっきりベッドが回ってるもんやと思ってた。
ボタン一つで円形のベッドがゆっくり回って、ミラーボールみたいな照明が色々切り替わる。
アメニティみたいなのが、色々取り揃えてあって、エロス+高級ホテルみたいなもんやと思ってた。
でも、ちっとも想像と合ってなかった。
お風呂も覗いた。
『スケベ椅子』なる物があるんかと思ってたのに、置いてなかった。
〝な~んや。なんか想像してたのと違う。〟
〝もっとキラキラしたとこやと思ってたのに〟
〝ショボ。暗。〟
あたしがあちこち見て回ってる間に、おじさん社長は本当にテーブルでコーヒーを煎れていた。
もう見て回るとこもなくなって、テーブルの前に座ってコーヒーを飲んだ。
ただのインスタントコーヒーやった。
コーヒーカップをテーブルに置いたのと同時に、おじさん社長が覆い被さって来た。
「コーヒー飲んだら帰る約束でしたよね。」
正面切っておじさん社長の目を射抜くように見て、これ以上冷たい声は出ない。というくらいの声で言い放った。
おじさん社長は怯んで、
「な?ちょっとだけ、ちょっとだけ。」って半分泣き顔で懇願して来た。
「コーヒーはもう飲みましたから、帰ります。」
そう言って立ち上がった私に、おじさん社長が再び覆い被さって来ることはなかった。
後ろから呻くような声で、「コーヒー一杯で4000円か…。高うついた…。」とそう言いながら、あたしの後を付いて来た。
恐ろしい。
男の人をナメるにも程がある。
よく何も起こらず無事に帰してもらえたもんだ。
なんであんなに自信があったんやろう?
次の日から、おじさん社長は私が働くディーラーに部品を持ってやって来ても、あたしと目を合わせる事はなくなった。
この事は誰にも話してなかったのに、一番仲良かった営業さんがやって来て、
「お前らなんかあったやろ?」と聞いて来たのにはびっくりした。
なんか、そっちの方がよっぽど怖かった。
でもエピソードトークとして事の顛末を話したら、涙を流して爆笑されて、あんまりオモロイからとイタリアンをご馳走してもらえた。
その時に生まれて初めて食べたティラミスは、死ぬ程美味しくて、今でもあたしのナンバーワンスイーツだ。
ちなみにおじさん社長に食べに連れて行ってもらった焼肉屋さんは、今でも国道沿いで営業している。
もう立派な地元の老舗だ。
あのラブホテルはまだあるんやろうか?
今度プリンスホテル行ったら、ちょっと寄り道して確かめて来よう。
でもあの時でかなりボロッちぃかったから、もうさすがにないやろな。
おじさん社長が経営していた、本当に小さなラジエーター屋も潰れて無い。
あたしが潰した訳じゃないもんね。
よく芸能ゴシップで、「ラブホテル行くには行ったけど、話をしてただけで、皆さんが想像するような事は何もしてません。」ってのがあるけど、あれを聞く度に、
「ホンマにそういう事ってあるねんで。」とテレビに向かって突っ込むのが、あたしのお決まりだ。
あれから30年経って、回らないシングルベッドで、あたしはゆっくり眠る。
本日11月27日、ただ今22:00。
アニキ、
38歳くらいから、びっくりするくらい老けるで。
ほな。