稲刈り前夜

今朝届いた三菱農機からの請求書。

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去年稲刈り終わった後に、ベルトの摩耗音がするのと、手漕ぎ脱穀する時に使うパーツが壊れてるのに気が付いて、今シーズンの稲刈りに入る前にコンバインのメンテナンスをしてもらった。

60834円なり。
奥の10874円は、草刈り機の調子が悪くて直してもらった時の請求書。
合計 約71500円。

はぁ…。
お米何袋分やろ。

明日、今年最後の稲刈りをする。

4月から田植え準備始めて、稲刈り籾摺り完了まで約半年。

一年のたった半分でお米は獲れる。
でも、しんどいとかキツいとか、仕事のスケジュールと上手く調整出来なかったりだとか、半年間のストレスはものすごく大きい。

元々好きで始めた農業ではないので、ちょっとした事ですぐへこたれる。
もしお父さんがまだ生きていてくれてたなら、少しは役に立ててる喜びが感じられて、まだ救われたかもしれない。

でも、お父さんが生きていてくれてたなら、80歳過ぎてもバリバリお米作りを現役で続けていただろう。
それならあたしはこんなにも農業に足を踏み入れる事はきっとなかっただろうし。

考えたところでしょうが無い。

お父さんが亡くなって、お米作りをどうするかとなった時。
廃業したらお米作りに心血注いで来たお父さんが悲しむやろうなと、ただそれだけで一から覚えた農業。

中途半端な決心なんか簡単にぺちゃんこになってしまう試練は数え切れないくらいあった。

確定申告する度に、利益も生まないのにしんどい想いしてまで続ける意味があるんかな?と、二、三週間考え込んでしまう。

それでも、こんな覚悟の無いなまくらなあたしでも、一年耕作放棄して草だらけになって荒れた田んぼを見ると、心の端っこが疼くのだ。

何なんだろう、この気持ち。

先祖からのDNA とも言うべきものか。

誰かと話しながら作る訳でもない。
田んぼでこけて泥だらけになっても、「何してんねん。」ってツッコんでもらえる訳でもない。
農機具が故障して、予定の時間がどんどん過ぎて焦っても、その帳尻合わせは自分でするしかない。

時々、世の中から置いていかれた様な気持ちになる。
遠く離れた場所で稲刈りしている光景を見ると、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、自分一人じゃないと安心する。

田んぼで不平不満を口にするのは禁物だ。

そのどす黒いおりみたいなものを、絶対に田んぼは吸収してしまうから。

「暑い。」
「しんどい。」
「面倒くさい。」

エンドレスで心に浮かんでも、口からこぼれ落ちない様に、必死で食いしばる。

それで何が変わるのか分からない。
それでも、底なしの愛情を注いで来たお父さんの想いが染み込んだ田んぼを、あたしが汚したら、それこそあたしの存在意義が無くなる気がする。

一体いつになったら、幾つになったら、あたしがあたしである必要性を感じられる時が来るんだろう。

はぁ…。
もう考えるのはよそう。
悪い癖だ。

明日は今年最後の稲刈り!

天気は快晴予報。
水が湧き出る難攻不落の田んぼ。
どうか、少しでも乾いていてくれますように。

明日に備えよう。

お休みなさい。