娘よ。

🎤 嫁に行く日が来なけりゃいいと
🎤 おとこ親なら誰でも思う
🎤 早いもんだね 二十才を過ぎて
🎤 今日はお前の花嫁姿
 芦屋雁之助 / 娘よ

上のお姉ちゃんの結婚式の夜。

結婚式、披露宴を終えて、親戚一同が我が家で祝いの宴会。

披露宴では感極まった感じだったお父さんが、緊張からも解放されてお酒もたっぷり入って、上機嫌でこの曲を歌い、やんややんやの喝采を浴びていた。

何事も手を抜かなかったお父さんは、たまに行くスナックのカラオケでかっこ悪いところは見せられ無いと、当時出だしたばかりのレーザーディスクカラオケを買って来て、ちょいちょい練習していた。

防音設備なんて全くしてない田舎の百姓家。

夜でも構わず結構大きな音で歌ってたお父さん。

翌朝、隣近所のおばさんに
「公ちゃん、夕べはご機嫌で歌うてたわな。上手やったわぁ。」と言われ
これまたご機嫌に
「ほうよ。スナックでママに下手くそな歌聞かせられへんしな。練習せなアカンにゃ。」と答えて二人で大笑い。

高校生のあたしは、この光景を見て、
「あたしってホンマにええとこに住んでるな…。」としみじみ感じてた。

今でも大根を分けてあげたお返しに、山椒の実を貰ったり、畑に生えてるお花を褒めたら株を分けて貰えたり…。

ええとこです。

こんばんは。
ウル虎マリンです。




お父さん。

昨日、お姉ちゃんが娘二人と孫を連れて帰って来てくれました。

下の姪っ子の亜季は、いつも年に一度しか許されてない帰省中も、お世話になった監督やコーチへの挨拶回りや、母校のバレーボール部にコーチに出掛けたりで、ほとんど実家でゆっくり出来ません。

でも今年はコロナウィルス対策で、所属チームから練習への参加の自粛を言い渡されてる事もあり、本当に入団以来初めて実家でゆっくり出来ているようです。

お姉ちゃんも、普段寂しいとは決して言わないけれど、「明日、亜季が帰って来る事になった。急遽仕事休み取って今日は色々準備する。」ってlineで送られて来てて、やはり嬉しくて仕方がない様です。

幾ら、全国各地で行われる試合に毎週応援に駆け付けるとは言え、言葉を交わせるのは体育館を出てバスに乗り込むまでのほんの数メートル。

全く話せ無い事もちょくちょくあるようです。

お姉ちゃんの決して出しゃばらず、応援に徹する姿は、姉ながら凄いなと感心します。

亜季の所属するチームでは、長年チームを引っ張ってくれていた最年長の選手がとうとう引退を決めて、亜季が来期からはチーム最年長となるそうです。

高卒で入団して、次々試合に使って貰える同期を横目に、ユニフォームさえ着れず、ジャージ姿で下働きに徹していた1年目。

2年目から急に試合に使って貰える様になって、レギュラー選手へ。

オリンピックの最終選考からは漏れたけれど、リオオリンピック出場を決める大会に全日本のユニフォームを着て試合する亜季を、家族総出で東京まで応援に行ったのも、ついこの間の事の様です。

若手が育って来て、出場機会が無い事も増えて来ました。

リベロなんだから、怪我さえしなければまだまだ出来ると思うのは、叔母の
贔屓目でしょうか。

いつ引退しても後悔の無い様に。

段々そんな心境で練習に臨んでいるのかもしれません。

孫のいっちゃんは、もうすぐ1歳。

うちに連れて帰って来てくれるのは、5回目くらいだと思うのに、未だに泣いてるところを見た事がありません。

なんかいつも堂々としていて、逞しささえ感じます。

いっちゃんの顔の前で「はーい!」と声を掛けて手を上げると、一緒に手を上げるという技が出来る様になったと、して見せてくれました。

「いっちゃん、バイバーイ。」と試しに手を振って見せたら、一緒に手をバタバタ。

初めてのバイバイが出来たとみんなで大盛り上がり。

子供の成長のスピードって凄いと、なんかやたら感心してしまいました。

お姉ちゃん達が帰った後、野良着に着替えて一人田んぼへ。

無農薬の田んぼは、田植えからちょうど二週間。

草が2、3センチの大きさになって来ました。

お父さんが亡くなって、無農薬米作りに取り組んだ最初の数年は、想像してた以上にビッシリ草が生えて、「こんなに草だらけになるんや…。」とかなり焦って、不安で一杯でした。

近所の人から、「田んぼを草だらけにして、おかしな事を始めやったな。」と思われてないか、他人の目ばかり気にして、馬鹿にされないよう、這いつくばって草取りに必死になりました。

日の出と共に田んぼに出掛けて、1時間程泥だらけになりながら草取りして、帰って来てシャワーを浴びて、バタバタ支度して仕事に行く。

今思えば、よくやってたなと思います。

無農薬米に取り組んで20年以上経った今は、草が生えるのが当たり前になって、もうどうこう思わなくなりました。

戦っても無理。
本来はこれが当たり前。
共存するしか無い。
草は草で精一杯生えている。
取り除こうとするのは、こっちの勝手。

そんな心境です。

それに案外稲って強いです。
多少の事では、びくともしません。

お父さんに「ほんな事今頃分かったんか。」と笑われそうですね。

お父さんは仕事から帰って来て、野良着に着替えて日の暮れまで田んぼで仕事してたのが、毎日の事だったのに。

晩酌しながら夕ご飯をゆっくり食べて、プロ野球のナイター中継を見ているのは最初の20分程だけで、気が付けばガーガー鼾を掻いて、ステテコ一枚で大の字になってうたた寝してたお父さん。

そのお父さんに、ただの一度も「みっともない。」とか「うるさい。」とか「あっち行って。」とか言わなかった事は、あたしがちょっとだけ誇ってもいいかなと思う事です。

言わなくて良かったと、草取りしながらまた改めてしみじみ思いました。

10年程前。

もう全く使わなくなったレーザーディスクカラオケを、捨てようかどうしようか、部屋の片付けをしながら迷ってた時。

しっかりした作りの立派なケースの蓋を開けたら、四つに折り畳んだ収録曲のリストが出て来ました。

何十曲とあるリストの中の、芦屋雁之助の娘よに鉛筆でアンダーラインが引いてあった。

ああ、お父さん、これ見ながらセットして練習してやったんやなぁ…と思いながら、几帳面にきっちり四角く折り畳んであるリストを眺めてたら、残して逝く私達家族の事を、取り分けあたしの事を心配して心配して亡くなったお父さんの事が思い出されて、堪らなくて声をあげて泣いてしまいました。

お父さんが描いてくれていたあたしの未来を、あたしが全然生きられて無い事が、申し訳なくて情け無くて、堪らなかったのです。

未だにきっと心配してくれてるんだろうなぁと。

我の強いあたしが、他人と暮らすのは多分無理だと、誰よりも自分自身がよく分かっているので、独身で居る事を普段は引け目に感じたりはしません。

ただ時々、女の幸せは結婚して子供産んで家族を持つ事だと、ずっと言っていたお父さんの事を思い出す度に、申し訳無く思うのです。

お姉ちゃん達に子供が出来た時、あたし達にはあんなに厳しかったお父さんが、孫にはメロメロで、外孫でこんなに喜ぶんだから、あたしが家をちゃんと継いで子供が出来てたら、どんなにか喜んでくれただろうと。

姪っ子甥っ子が小さかった頃によく思っていた事を、昨日久し振りに思いました。

あたしは自分を可哀想とは思いません。

でも、お父さんの事を思い出す時、堪らなく申し訳無い気持ちになるのです。

疲れて畦道に腰を下ろした時、あたしは時々こうやってお父さんの事を想ってます。

今日から6月です。

田植えが終わってホッとしたのも束の間。

無農薬のお米作りはこれからが正念場です。

あたしはとりあえず元気です。

それしか報告出来る事が無いのが、ちょっと情けないけれど。

また吐き出さないとどうかなりそうになったら、こうやって手紙を書きます。

読んでくれると信じて。