ノムさんと新庄君

一昨日久し振りにY ちゃんと出会った。

スポーツに全く興味の無かったY ちゃん。

そんなY ちゃん が、今心に響いてるのが、ノムさんの格言の数々だと言う。

プロ野球ファンのあたしからしたら、「え?今初めて知ったん?」という様なメジャーどころの台詞ばかり。

でもこれはこれで素晴らしい事かもしれない。

偉大な功績を残した人が亡くなった後、その人の功績に改めてスポットが当たる。
現役時代にはあまり知られてなかったエピソードや、人となりがクローズアップされる事によって、「凄い人」とぼんやりしてた功績に、くっきりと輪郭が現れるようになる。

阪神暗黒時代に監督就任したノムさん
(まさかノムさんに監督要請するとは!無茶苦茶びっくりしたのを覚えてる。)

当時1週間に6日負けたりする阪神タイガース(全敗やないか。)の中で、虎党にとってたった一つの救いは新庄剛志だった。

チームがどんな状況にあっても、いつも楽しそうに野球していて、どんなコメントが飛び出すか分からない新庄は、まさに阪神タイガースのプリンス。

超人的な身体能力にものを言わせて、本能の赴くままに野球しているだけに見える新庄が、野村監督の提唱するID 野球のノウハウを身に付けたなら、もうこれはホンマにもの凄い化け方をしてくれるんちゃうか。
阪神ファンは期待を込めて、固唾を飲んでキャンプの様子を見守っていたのだ。

そして迎えた安芸の秋季キャンプ。

確かフリー打撃練習を終えた新庄を呼び寄せ、20分~30分位直接指導!

「おおっ。いよいよノムさんによる新庄改革や!」

阪神のプリンスは、若干裸の王様っぽくもあった。
それがまさに自他共に認める真のキングに化ける、まさに歴史的瞬間に立ち会えたのか!

…と、息巻く番記者に囲まれた新庄君。

どんな話でしたか?と聞く番記者に対し
「俺、馬鹿なんでよく分からなかった。次はもっと短く喋って欲しいです。」と答え、番記者だけでなく、新庄の覚醒を願って見守っていた阪神ファンまでも、ズテーッとコケさせた。

「アカン。やっぱり新庄は新庄や。」

新庄の脳ミソにID 野球 のノウハウが刻み込まれるのを早々と諦めた阪神ファン

そして誰よりもいち早く諦めたのは、ノムさんだった。

以降、新庄にデータ野球の大切さを説く事をすっぺり諦め、新庄のしたいように野球をやらせたノムさん

だから、生まれたあの敬遠球サヨナラヒット。

1999年6月12日。
甲子園球場
巨人戦。

4-4で迎えた12回裏、1死1、3塁。
ピッチャー槙原。
(しかし、槙原さんってことごとく阪神タイガースの名シーンに貢献してくれてる。いい人だ。)

打席に向かう前、新庄はノムさんに敬遠されたら打ってもいいか確認し、実際打席に立ったらノムさんからサインが出た。と言われている。

でも実際は、敬遠球が来たら打ってもいいか聞いた新庄に
「好きにせえや。」とノムさんが言ったらしい。

「好きにせえや。」
この一言が、今も阪神ファンが巨人相手に「どや、見たか?」と威張れるあの名シーンが生んだのだ。

そして大谷翔平投手より先に二刀流を実践していたのも、新庄剛志なのだ。

超人的な強肩を誇る新庄。

就任当時、プリンスとして他の選手とは一線を画していた新庄に、新たにやる気を起こさせる為なのか、ピッチャーの目線を身に付ける事で、バッターとして成長を促す為なのか、それとも案外純粋にピッチャー新庄に期待していたのか。

本当の本当の所は、ノムさんのみぞ知るだけど、結構ピッチャー新庄を面白がっていたと思う。

だって、まだ若いイチローオリックスで大活躍した1996年のオールスター戦で、全パの仰木監督がピッチャー・イチローを告げた時、全セの監督だったノムさんは、ふざけてると激怒し、打席に向かおうとしていた松井秀喜を呼び止め、代打にクローザーの高津を送ったのだから。

テレビで見ながら、「何でよッ💢せっかくピッチャーイチロー松井秀喜が見られると思ったのにぃ!」と怒鳴ったのを、今もハッキリ覚えてる。

そんなノムさんが新庄に対しては、自由に新庄らしく野球をやる事を許した。

一見怖そうで、ネチネチと陰湿なイメージのノムさんが、キングにはなれなかったが、押しも押されぬ阪神タイガースのプリンスに新庄を押し上げたのだ。

そして、そんなノムさんが撒いた数々の種が芽を吹いて、2年後星野監督の下、2003年の優勝として花開く。

今、47歳にしてプロ野球に再挑戦する新庄君の姿を最後までノムさんに見届けて欲しかったな。

ノムさんは何て言うんやろ。

「お前はホンマに可愛い奴や。」

やっぱり、そう言うんやろか。