隣人。その3 《脳内アニキvol.9》
楓の部屋の玄関のドアを開けて、アニキが出て来るのを、様子を伺う楓と亜希子。
楓「あ、出て来た!」
キャリーバッグを持ったアニキが部屋から出て来る。
亜希子「おはようございます!」
アニキ「うわっ。あ、おはようございます。」
亜希子「これからお仕事ですか?」
アニキ「あ、はい。」
亜希子「毎日テレビで見ない日は無いですもんね。お忙しそうで。」
アニキ「や、そんな大した事は無いですけど。」
亜希子「あの、これ良かったら持って行って下さい。」
アニキ「え?」
お弁当を入れた紙袋から、お弁当を出して見せる亜希子。
亜希子「毎日ロケ弁ばかりで飽きてはるでしょう?たまにはこんなお弁当もいいんじゃないかと思って、今朝作ったんです。」
アニキ「ええっ!」
亜希子「本当はねもっと手の込んだ物お作りしたかったんですけど、今朝急に思い立ったもんで、コンビニに売ってる物だけで作ったんで、大したこと無くて恥ずかしいんですけど。ウフフ。」
アニキ「あ、あ~、あの、すみません。」
亜希子「どうぞ遠慮なさらずに。」
アニキ「あ、いや、本当に申し訳ないんですけど、僕ら万が一の事があってはいけないんで、手作りとか生ものの差し入れは受け取る事が出来ないんです…。」
亜希子「ええ?」
アニキ「や、本当にすみません。せっかくこんな朝早くから作って頂いたのに…。なんか、申し訳ありません。お気持ちだけ頂いておきます。」
亜希子「いや、そんな傷んでるようなもん入ってませんよ。」
アニキ「いや、勿論そうだと思いますけど、本当に万が一の事を考えて…。本番に穴開ける様な事があってはならないって事で…。」
亜希子「だから、そんな傷んでる様なもん入ってません。それとも何ですか?私の作ったお弁当は食中毒の疑いがあるとでも言わはるんですか?」
アニキ「あ、そんな、そんな決してそういう事じゃないんですけど。それに今コロナウィルス対策で、生ものだけじゃ無くて、ファンの方から差し入れを受け取る事自体、会社から禁じられてるんです。」
亜希子「何ですの、それ?料理する前にちゃんと手も洗って容器だって新しくわざわざ買って来たやつに入れてるんですよ。」
アニキ「あ~、本当にすみません。けど、お受け出来ないんで、本当に申し訳ありません。」
亜希子「ちょっと何?気ぃ悪いわぁ!」
アニキ「本当にわざわざ作って頂いたのに、すみません。あの…、あの僕電車の時間があるので、これで…。もう本当にお気遣いなく。すみません。」
亜希子「ちょっと!ホンマに受け取らへん気?」
アニキ「すみません。失礼しますっ!」
逃げる様にキャリーバッグを引きながら、エレベーターに乗り込むアニキ。
亜希子「何あれ?信じられへんッ!」
エレベーターのドアが閉まる。
思わず壁にもたれてしまうアニキ。
アニキ「うわぁ~、嘘やろ~。ちょーホンマ勘弁してぇ。怖いって!何やねんあれ…。」
お弁当の入った紙袋を持ったまま、取り残された形の亜希子。
ずっと成り行きを見ていた楓。
楓「ママ。せっかく作ったのに、残念やったね。」
亜希子「何なんよ、アイツ!腹立つわっ!。人がせっかく早起きしてコンビニに買い物に行ってまで、お弁当作ったったのに!」
楓「うん。けど、会社の決まりなら仕方無いんちゃう…?」
亜希子「何が会社の決まりよっ!しょーもない奴はなんか都合が悪くなったら、なんでも会社のせいにして逃げるんよ。」
楓「ゆずる君からアイツになって、しょーもない奴になった…。」
亜希子「ちょっと売れてる思て、調子乗って、何やのあれ?」
楓「あれに落ちた…。」
亜希子「恥かかされて、あ~~腹立つッ!」
ガチャ、バーンッ!
凄い勢いで玄関ドアを開けて部屋に入って行く亜希子。
楓「ママ?ママ?」
ガチャ、バーンッ!
右手にガムテープ。
左手に何やら紙を掴んで、また舞い戻って来た亜希子。
アニキの部屋のドアに、ガムテープで紙を貼り出す亜希子。
楓「ママ?ママ?何してんの?」
亜希子「レシート貼ってんのやんか。」
楓「レシート?」
亜希子「コンビニのレシート。食材にお茶にタッパーにお箸、お弁当用カップにおしぼりまで。合計2228円!アンタが受け取らへんかったお弁当は、2228円もかかってるんやって分からせたるねんッ!」
楓「ちょ、ちょっと止めてって、ママ。下手したら捕まるって。」
亜希子「こんな事で捕まってたまるかッ!」
楓「アカンって。見てよ、あれ防犯カメラやで。管理人さんに通報されたらどうすんの?」
亜希子「管理人室にすぐ通報行く様な上等のマンションちゃうわ。その前にこっちがよしもとにクレーム入れたるわッ!」
楓「落ち着いてって。多分生ものとか受け取れへんのはホンマなんやって。」
亜希子「楓。アンタあんな奴の肩持つの?」
楓「違うって。前に美樹が言うてやってん。あの子2.5次元ミュージカル好きやんか。前に差し入れに手作りケーキ持って行ったら断られたって落ち込んでた事あるもん。」
亜希子「フンっ。そんなんママ知らんわ。ってか、楓、アンタそれ知ってたんならなんでママに言わへんの?ママ恥かいたやないの。」
楓「さっきはそんな事忘れててんもん。とにかくこれは止めて。いきなりゆずるに嫌われん嫌やわ。」
亜希子「あんな奴に好かれんでもいいのッ!」
楓「ママは大阪帰るやん。けど、楓は今日からここで暮らすねんで。いきなり揉めたらやりにくいやん。なあ、お願いやし止めてって。」
亜希子「………。」
渋々、ガムテープを剥がす亜希子。
亜希子「あー、腹立つッ!朝ご飯作る気無くなったわ。」
楓「ママ。近くに行列の出来るパン屋さんあるから行ってみる言ってたやん。買って来てよ。今朝はそれ食べよ。」
亜希子「はぁ~。分かった。楓、アンタも行くん?」
楓「ちょっと友達に電話したいし、ママ買って来て。」
亜希子「何がいいの?」
楓「何でもいい。ママが欲しいもんでいいし。」
パンを買いに出る亜希子を見送った後、急いで自分の部屋に戻り、翔(かける)に電話する楓。
楓「もしもし?」
翔「もしもし。」
楓「翔?ちょっと聞いて、なんかヤバい事になって来た。」
翔「え?何?もしかしてゆず兄になんかしたんちゃうやんな?」
楓「あたしは何もしてへんよ。」
翔「え?って事は何?もしかしてママがなんかしたん?」
楓「なんかしたどころちゃうねん。ちょっと聞いて。」
翔に今起きた事を説明する楓。
翔「嘘やんっ。マジで?ママそんな事したん?」
楓「そやねん。お弁当作ってる時はご機嫌やってん。そやのに。」
翔「そやから、余計腹立ったんやて。」
楓「どーしよ。絶対ゆずるが帰って来たらママ改めて文句言いに行くわ。こういう時のママしつこいもん。」
翔「ゆず兄何にも悪い事してへんのに。あ、でも姉ちゃん、大丈夫や。」
楓「なんで?」
翔「ゆず兄、今日と明日はまんげきとNGKの出番があるし、大阪や。」
楓「そうなん?なあ、翔。あんたホンマにゆずるの何なん?」
翔「ほやから、むっちゃファンなんやって。それより、この事パパは知ってんの?」
楓「今の今やもん。パパは何も知らん。ってか、ママはこの事パパには言わへんと思う。」
翔「そうかな。」
楓「だって、パパ無茶苦茶焼き餅焼きやん。前に翔のサッカーチームの合宿があった時、他の子のパパと二人で車で帰って来て、半殺しされかかってやったやん。あたしの部屋の隣が男で芸人で、そいつにお弁当なんか作ったなんて分かったらママ殺されるわ。だから絶対ママはこの事パパには言わへんって。」
翔「ママが怒られるのはしゃーない気もするけど、ゆず兄巻き込まんといたってくれって。」
楓「ホンマや。この事パパに知れたら、ゆずる半殺しにされるな。何やったけ?パパ元ヤンで河内の…何やったっけ?」
翔「河内の死神。」
楓「そうや。ほんでママが何やったっけ?」
翔「岸和田のメドゥーサ。」
楓「今は落ち着いてるけど、キレたら震え上がる程二人共怖いもん。」
翔「パパが時々僕に言うねん。『翔、お前は河内の死神と岸和田のメドゥーサの息子や。もっと堂々としてろ』って。」
二人「……。」
翔「なぁ…姉ちゃん。」
楓「何?」
翔「メドゥーサって何?」
楓「……知らん。けど、とてつもなく恐ろしいって事だけは分かる。」
翔「ゆず兄大丈夫かな?」
楓「ママにもう帰ってもらうわ。ゆずるがまだ大阪に居てるうちに。」
翔「うん。そうして。出会わせへんのが一番やと思う。」
楓「分かった。翔。パパに知られん様にしてや。あたし、せっかく東京でお洒落に暮らして行ける思ってたのに、ブチ切れたママとパパのせいで人に後ろ指差されるなんて絶対嫌やで。」
翔「分かった。パパには上手い事言っとくし。ママが早よ大阪帰る様に姉ちゃん上手い事してな。」
楓「了解。」
翔「なんか、姉ちゃんと1年分位喋った気がするわ。」
楓「これもゆずるのおかげやな。」
翔「ゆずるやのうて、ゆずるさんな。」
楓「ママはあれって呼んでたけどな。」
翔「ゆず兄~~。」
楓「ほな、ママそろそろ帰って来るかも知れんし、切るわ。」
翔「うん。姉ちゃん上手い事やってな。」
楓「うん。バイバイ。」
翔「バイバイ。」
つづく。