隣人。その5 《脳内アニキvo.11》

切れてしまった竜一からの電話。
スマホを見つめながら、しばし呆然とする楓。

亜希子「パパ、来るって?」
楓「うん…。ママどうしよう…?パパゆずるにヒドい事せえへんかな?」
亜希子「さあ、どやろ?パパの気分次第違う?」
楓「ええ~。そんな怖い事言わんといて。」
亜希子「楓。あんたそれより、何企んでるのよ?ママの事さっさと大阪に帰そうとして。」
楓「だってママがゆずるにキレて、なんかまた文句言うたりしそうで、ややこしい事なったら嫌やってんもん。」
亜希子「そんで結局パパが出て来る事になったんやから。」
楓「ママから上手い事言ってよ。」
亜希子「知らんわ。だいたいこんな事なったのも、全部あいつのせいやん。」
楓「ゆずるの事言うてんの?でも、勝手にお弁当作ったんはママやん。何もゆずるは作ってくれなんて頼んでへんやん。」
亜希子「ほやから腹立つんよッ。こっちが親切心でせっかくわざわざ作ってあげたもんを、汚いもん見るみたいな目で見て。あ~、思い出したらまた腹立って来たわ!」

亜希子「ホンマに何様やと思ってんのよ。このあたしを誰やと思てんのや、あのアホッ。」

段々ヒートアップして行く亜希子。

側に楓が居る事なんて忘れてしまっているかの様に、一点を見つめたまま喋り続ける。

亜希子「昔は〝あいつやっとけ〟のあたしの一言で岸和田中のヤンキーが動いたんやで。人が下手に出てあげたら舐め腐って。あたしの作ったお弁当を受け取らへんやて。あー腹立つ、腹立つ、腹立つ…。絶対後悔させたる。二度とヘラヘラ笑ろたり出来ん様にしたるさかいな。あたしが本気出したらどうなるか、知らしめたるわッ!」

楓「ママ、ママ!」

フッと我に返る亜希子。

楓「ママどうしたん?誰と喋ってんの?なあ、どうしたん?ママ、しっかりして!」
亜希子「あ~、ゴメン、楓。ちょっと昔にタイムスリップしてしもただけやわ。」
楓「ホンマに大丈夫なん?なぁお願いやから落ち着いて。ママが怒るとろくな事が無いもん。ゆずるもまさかママがこんなに怒ってて、そこにパパまでやって来るなんて夢にも思ってへんって。大阪で呑気に仕事してんのやって。あたしの気持ちも知らんと…。」
亜希子「楓。あんたは誰の味方なんよ?あんな奴の肩持つの?ママがあんなに恥かかせられたのに。」
楓「だってなんか恐ろしい事なりそうで怖いねんもん。」
亜希子「なったらええねん。」
楓「なったらええねんって…。ママ。ママはゆずるにどうなって欲しいの?」

少し間を置いて、一瞬目を閉じて考える亜希子。

パチッと目を開く。
完璧な〝無〟の顔。

亜希子「死なん程度にバレん様に、パパに痛い目に合わされたらいい。」

楓「ヒッ……。」

ヨロッと後ずさりする楓。

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
ママが本気出してしもた。
なんか分からへん。分からへんけど、これが〝メドゥーサ〟なんや。
絶対そや。
どうしよう…。
あたし、泣きそう…。

亜希子「なんや、楓?どうしたん?あんた泣いてるやないの?」
楓「ううん。何でも無い。ちょっとドライアイ。」
亜希子「冗談やんか。ちょっと冗談言うただけやん。ゆずるが痛い目にあったらいいなんて、これっぽっちも思ってないって。」

楓に向かってニッコリ笑う亜希子。

楓「うん。分かった、分かったわ、ママ。」

お臍の下辺りがズーンと重い。
ちゃんと立ってるはずなのに、グラグラ床が揺れてる様な気がしている楓。

楓(絶対嘘や。だってママの目笑ってないもん。さっき独り言言ってから、なんか目の色がグレーになった気がする。メドゥーサ?これってメドゥーサの目なん?)

亜希子「さ、いつまでもしょーもない話してんとこ。買い物行くで。」
楓「え?買い物?」
亜希子「そうよ。カーテンにスリッパに、衣装ケースとか、買わなアカンもん一杯有るやないの。」
楓「うん…。」
亜希子「さあ、支度しなさい。」
楓「ゴメン、ママ。あたしちょっとしんどい。また今度でいいわ。」
亜希子「何言うてんの!ママかて明日までしか居られへんねんで。今日買い物行かなどうするの?」
楓「明日まで?あ~そうか、ママ明日帰るんやんな。そっか、明日帰るんや。」
亜希子「そうよ。ほやから早よ支度しなさい。」
楓「ごめん、ママ。やっぱりママ一人で行って来て。あたしちょっと休んどく。」
亜希子「なんよ、この子は。ほな、ママ適当に買って来るで。後で文句言わんときや!」
楓「うん。言わへん。言わへんから。」
亜希子「そしたら、売り場から電話するわ。」
楓「うん。」
亜希子「ホンマに大丈夫なんか?しんどいんやったら寝ときなさい。」
楓「うん。休んどく。」

支度をして出て行く亜希子。

部屋に一人残された楓。

楓「どうしよう…。どうしよう…。」

床に亜希子がアニキの部屋のドアに貼ろうとしたレシートが皺くちゃになって落ちていた。

レシートを屈んで拾い上げる楓。

皺くちゃのレシートをゆっくり手で広げていると、ふつふつと沸き上がって来る感情が…。

楓「決めた。」

楓「ゆずるはあたしが守る。パパにもママにも絶対手なんか出させへん。」

楓「ゆずるを守れるのは、この世であたしただ一人。絶対に守ってみせる。」


楓に〝母性〟が目覚めた瞬間だった。


つづく。