隣人のその先。その⑮【脳内アニキvol.30】

土下座しろと怒鳴る老人。
土下座なんてしませんと耳を真っ赤にして抵抗する桜井さん。
その後ろでひたすらオロオロしている楓。

一瞬の膠着状態に陥った、その時。


「ちょっともう、いい加減にして下さいっ。」
「そんな怒鳴らないといけない様な事してないでしょッ。」

最初老人の後ろに居て、途中で隣のレジに並び直した50代くらいの女性が仲裁に入ってくれた。

でも、恥をかかされたと思ったのか、ますます意固地になった老人は、今度はその女性と大声で言い合いを始めてしまった。

ヤバい、ヤバい、ヤバい。

お客さん同士が言い合いになって喧嘩になる。
それで怪我でもされたら…。
それがどんなにヤバい事なのか、まだアルバイトを始めて間がない楓にだって分かる。

桜井さんと二人、「落ち着いて下さい。」と言いながら、カウンターを出て止めに入る。

その時。

「お、何や何や?何があったん?」とコンビニ中に響き渡る関西弁。

上下紺色の作業着を着た男性が、入って来るなり、遠巻きに楓達を見ているお客さんに声を掛けている。

最初からこの騒動を見ていた女子高生から状況を聞き出している。

そして、躊躇する事無く、老人に向かって来た。

男性「ちょっとオッサン何やねん。何がしたいねん。この子ら土下座せなアカン様な事したんか?」
老人「ウルサいッ。何だお前は?関係ないだろッ。」
男性「ええ大人が何言うてんねん。袋に詰めてもらえへんくらいで何が土下座やねんな。ほんな事コロナになってから、みんな協力してやってる事やんけ。何をしょーもない事でゴチャゴチャ言うてんねん。」
老人「しょーもないだとぉッ。」
男性「しょーもないわッ。こんなしょーもない事でワーワー喚いて、恥ずかしいやろ。」
女性「ホントに。もういい加減にして下さい。」
老人「何だとぉ。」
男性「さっきから他の客にあんたスマホで撮られてんで。コンビニで喚くとんでもない老人ってSNSにでもあげられて、表歩けへんようになんで。」
老人「誰が撮っとるんだ!お前らそんな事して何が面白いッ!」

遠巻きに動画を撮っていた客の何人かは、いきなり自分達に向けられた老人の怒りに、巻き込まれる事を懸念したのか、出て行った。

男性「けど、ホンマにもう止めたって。女の子らが可哀想やわ。」

関西弁の男性は、老人にでは無く、スマホを向けていた他の客に近寄って声を掛け始めた。

これで事態の収束を感じ取ったのか、とうとうスマホで撮る客は居なくなった。

そして再び老人に話し掛ける。

男性「なあホンマにちょっと落ち着こ。」
女性「ホントに。ちょっと冷静になって下さい。」
老人「わしは最初から冷静じゃッ。」
男性「ほな、冷静に聞いてな。袋に入れてもらえへんとか、お釣り手渡してもらえへんとか、確かに面倒くさいけど、みんながコロナやししゃーないと思って協力してますやん。」
老人「お前の話聞くつもりは無い。」
男性「ほんなら勝手に喋らせてもらうわ。ストレス溜まってんのん、おじさんだけちゃうて。この子らも大変やって。もうそこはお互いさんやんか。」
老人「途中から入って来て、偉そうに何を言ってんだ。」

アカン。
この人にまともに話なんて出来ひんって。

楓が上本さんに「店長まだですか?」と聞こうと思ったその時、やっと店長がやって来た。

そこから店長が老人に改めて頭を下げ、女性と関西弁の男性に御礼を言い、他のお客さんに「お騒がせして申し訳ありませんでした。」と頭を下げて見送り、散々怒鳴っていた老人は、自分の中の怒りのマグマが湧き出るエネルギーが尽きたのか、ブツブツ言いながらようやく出て行った。

長かった。
もう永遠に終わらへんのかと思った。

楓は座り込みたい気分だった。

ただ一人、未だ残っていた関西弁の男性が桜井さんに話し掛けている。

男性「大変やったな。」
桜井「いえ。ありがとうございました。」
男性「あんなん気にしたらアカンで。こんなんで辞めんといてな。桜井ちゃんは俺にとっての癒しやねんから。」
桜井「……。」
男性「桜井ちゃん辞めたら俺の楽しみが無くなってまう。な、辞めんといてな。」
桜井「ありがとうございます。」

え?
この人、桜井さん推しやったんや。

その男性は、お弁当、ビール、おつまみ、アイスクリームを買って、ホットコーヒーを飲みながら出て行った。

アイスクリーム買ってったって事はこの近所なんや、あの人。

楓達にとっては、救世主となった男性が出て行くのを見送っていると店長に声掛けられた。

店長「お疲れ様。もし今後ああいう事があったら、僕が来るの待たずに警察呼んでくれていいからね。暴力振るわれたりしたら大変だし。」
楓「はい。」
店長「ヘルプ頼んだから、真田さんその人が来たら上がっていいよ。」
楓「あ、はい。」
店長「桜井さん、ちょっといいかな?裏で詳しい事情聞かせてくれるかな。」
桜井「分かりました。」

30分後、本来のシフトより1時間半早く来てくれたバイトスタッフと交代して、バックヤードに楓が入って行くと、防犯カメラを見ながら店長と桜井さんが座っていた。

桜井さんは泣いていた。

楓「あ、さ、桜井さん今日はすいませんでした。」
桜井「ううん。あのお客さん凄いウルサくて。いっつもこっちで袋に入れてあげないと怒るんだけど、真田さんに言えてなくて…。ゴメンね。」
楓「いえ、楓が上手いこと謝れへんかったから。店長、桜井さんは何にも悪く無いんです。ほやし、怒らんといて下さい。」
店長「怒ってないよ。どうしたら良かったのかなと思ってるだけ。」
楓「けど…。」
店長「大丈夫やから。じゃあお疲れ様。」
楓「お疲れ様でした。」
店長「あ、もしSNSなんかで今日の動画が上がったりしても、絶対に反応しない事。対応はこっちでするから。いい?分かった?」
楓「はい。お先です。」

桜井さんは下を向いたままだった。

楓に怒っている風では無い。

でも、あんな桜井さんは初めて見た。

いっつも笑顔でテキパキ仕事こなして、店長や他のバイトスタッフとも仲いいし、楓にも丁寧に仕事を教えてくれる。

お喋り好きの藤本さんも、「分からない事があったら桜井さんに聞いてね。って、あたしより後に入って来たんだけど。」と言うくらい、お店のスタッフからの信頼は絶大だ。

どうしよう…。
桜井さん、辞めてしまわへんかな…。

どうしよう…。
どうしたら良かったんやろ?

楓が何も言わんと、サッサと袋に入れたげたらこんな事にならへんかったんかな…。

マンションに向かって歩きながら、楓は今日コンビニで起きた事件を振り返っていた。

どうしよう…。
どうしよう…。
桜井さん辞めたりせえへんかな…。
ってか、あのオッサンまた来るかも。
ってか、スマホで撮られてたのアップされて、大きい事件になったらどうしよう…。
どうしよう…。

立ち止まって、楓は詩織に電話した。

詩織に一部始終を聞いて欲しかった。


繋がらない。

詩織はきっとまだバイト中だ。

何だかどんどん大きくなる胸のドキドキを抱えて歩いていたら、マンションに着いてしまった。

「はぁ……。」


「ゆずるに会いたい。」


やっぱりゆずるに会いたい。


ゆずるに会って、今日あった事全部全部喋りたい。

そしたら…。
そしたら……。



「お~、むっちゃ久し振りやんけ。全然会わへんかったな。」


「えっ?」

ゆずるっ。

自分の部屋の鍵を開けようとしてた楓が振り返ったその先に、10月だと言うのに半袖Tシャツ姿のアニキが居た。

ゆずるっっ。



つづく。