隣人のその先。その⑯【脳内アニキvol.31】

「お~、むっちゃ久し振りやんけ。全然会わへんかったな。」

楓の視線の先に、半袖Tシャツ姿のアニキ。

アニキ「どうしててん?どっか行ったんか思たわ。」
楓「ゆずるぅ…。」
アニキ「久し振りやわ、そのゆずる。」
楓「ウッ…。うぅ…。グッ。」
アニキ「お、何?何?何?え、何よ?どうしてん?」
楓「ゆずるぅ~。」

楓はコンビニで起きた事をアニキに喋りたいのに、自分の口から出て来るのが言葉では無く、嗚咽しか出て来ない事にプチパニックになっていた。

あ~、もー、なんで?
嫌や、鼻出て来た。
しゃくり上げて泣いてしもてるやん、あたし。
どうしよう、あたし、今むっちゃブスや。
久し振りのゆずるやのに。
やっと会えたゆずるやのに。
涙、止まってぇー。

プチパニックになっているのが楓としたら、完璧にパニックになっているのがアニキだった。

アニキ「ちょ~ちょ~、どうしてん?何やねん?何でいきなり泣いてんねん?」
楓「うぅっ、ゆ、ゆずるぅ~。」
アニキ「ほやから、何よ?」
楓「あたし。あたし…」

何とか喋ろうとする楓。

でも、さっきコンビニで起きた事を頭に思い浮かべると、必死で押さえようとしてた胸の奥のものがまたせり上がって来る。

楓「うう。ウウッ…。ウグっ…。」

どうしようも無かった。
泣き止みたいのに止まらない。
もう知らん。
どんどん大きくなる自分の嗚咽を楓は持て余していた。

アニキ「ちょっと落ち着けって。なぁ…。」

そこに、アニキの奥の奥の部屋に住んでいる20代の女性が帰って来た。

ウワンウワン泣いている楓と、それを必死になだめているアニキを見て、一瞬怯んでしまう女性。

アニキ「あ、こんばんは!あの違うんですよ。」
女性「こんばんは……。」

二人からしっかり距離を取って、女性が通り過ぎる。

そして、自分の部屋の鍵を開けながら、もう一度しっかり泣きじゃくる楓とアニキをジッと見た。

アニキ「あ、どうも~。お休みなさ~い。」

バタン。

アニキを見る女性の眉間には、しっかり皺が刻まれていた。

アニキ「ちょ~も~。絶対誤解されたやん。俺が若い女の子泣かせてるて絶対思われてるやん。」
楓「ゆ、ゆずるが泣かせたのはホンマやん。」
アニキ「何でやねんッ!」
楓「ほんなん…。うぅ…。びぇ~ン💦」
アニキ「ちょ~ちょ~、もう何やねん。しゃーないなぁ~。もう部屋入りぃな。」

自分の部屋の鍵を開けて楓を招き入れるアニキ。

アニキ「暑っ。むっちゃ暑いやんけ。もう夜やで。暑~。ちょっとそこのソファに座っといて。」

鼻を啜っていた楓は、自分の部屋と同じ間取りとは信じられない程恐ろしく片付いた、まるでカフェみたいなアニキの部屋に唖然としていた。

あまりの綺麗さに鼻も涙も引っ込んだ。

エアコンのスイッチを入れたアニキが奥に引っ込む。

10月だと言うのにTシャツ姿のアニキは、汗をかいていたのか、出て来た時にはまた別のTシャツに着替えていた。

アニキ「水でええか?」

冷蔵庫から冷えたペットボトルの水を渡してくれるゆずる。

アニキ「ほんで何よ?あ!もしかしてあれ?この前のコーヒーの事まだ怒ってんのか?ゴメンゴメン。ごめんって。せっかく買って来てくれたのに、俺悪い事言うたなって思っててんって。」
楓「違う。」
アニキ「違うんかいっ!謝って損したがな。」
楓「違う、そんなんちゃう。」
アニキ「ほやったら何よ?泣いてたら分からへんやんけ。」
楓「今日、今日な…。」
アニキ「うん。」
楓「バイト先で…」
アニキ「バイト?バイト始めたん?」
楓「うん。」
アニキ「お~、スゴいやんけ。ニート楓、バイト始めましたか。」
楓「ニートちゃうし。」
アニキ「ニートみたいなもんやったやんけ。家にずっと居て、俺が帰ってくんの見張ってて。あ!ニートちゃうわ。ストーカー楓や。」
楓「ストーカーちゃうし。もう何喋ろうとしたんか忘れたやんか。」
アニキ「すまんすまん。バイト先でどうしたん?」

今日バイト先のコンビニであった事。
桜井さん推しの関西弁の男の人が助けてくれた事。
でも、その桜井さんが辞めてしまうかもしれへん事。

楓は、つっかえつっかえ、話があっちに行ったり、こっちに行ったりしながら、「おう。」とか「マジで?」とか相槌を打ちながら聞いてくれるゆずるに全部全部喋った。

アニキ「お~。大変な目に合ったんや。」
楓「ホンマに。大変やってん。」
アニキ「けど、そのオッサン腹立つなぁ。」
楓「ほやろ?むっちゃ腹立つ。」
アニキ「何で自分の方が偉いと思うんやろな?レジしてくれてありがとうやろ。」
楓「そやろ!そう言うて欲しかったわ。」
アニキ「けど、その桜井さん気になるなぁ。」
楓「うん。もし辞めはったら楓のせいやん。」
アニキ「辞めへんのちゃう?」
楓「ホンマ?」
アニキ「知らんけど。」
楓「何なん、それぇ。」
アニキ「いや、知らんけどやなぁ、そんなしっかりした人やったら、そんな事ぐらいで辞めたりせえへんやろ。」
楓「そっかなぁ…。」
アニキ「ってか、気になるなぁ。」
楓「何が?」
アニキ「そんな綺麗な人なん?」
楓「は?」
アニキ「いや、綺麗な人なんやろ?ほんでちゃんとした子やんか、話聞いてたら。」
楓「綺麗やったらどうなん?」
アニキ「1回見に行こうかなぁ。」
楓「ハァ??」
アニキ「いや、興味あるやん、桜井ちゃん。何処のコンビニでバイトしてんの?」
楓「何それ?知らんわ、教えたらへん。」
アニキ「ええやんけ、教えてくれや。あっこか?駅前の?」
楓「違うし。」
アニキ「ほんなら何処よ?」
楓「言わへんし。」
アニキ「ガハハハハ~。ええやんけ、教えてくれや。」
楓「知らんっ。勝手に調べたらええやん。」
アニキ「そやな、そうするわ。桜井ちゃん探しに行くわ。」

すぐムキになる楓を面白がって、からかい出すアニキ。

でも楓にはそれを見抜く余裕なんて無い。 

やっと会えたゆずるが桜井さんに興味持ち出して不満と不安で一杯。

桜井さんに興味を持ったゆずるに本気で腹を立てていた。

楓「もういいわ。帰る。」
アニキ「おう。ちょっとはスッキリしたか?」
楓「最初からモヤモヤなんかしてへんし。」
アニキ「モヤモヤしてたやんけ。ビービー泣いてたくせに。」
楓「ゆずるが悪いんやろ。」
アニキ「何で俺が悪いねん。」
楓「ゆずるっていっつもそうやん。」
アニキ「何が?」
楓「いっつも人の気も知らんと。無神経やし。」
アニキ「何でそんな事言われなアカンねん。ちゃんと話聞いたったやろ?」
楓「ほら聞いてはくれたけど。元はと言えばゆずるのせいでバイト始めようと思ったんやから、こんな目に合ったのもゆずるのせいやん。」
アニキ「何やねん、それ?」
楓「ゆずるが…。もういいっ。帰る。」
アニキ「あ~、そうですか。ほなな。桜井ちゃんによろしく。」
楓「知らんしッ!」
アニキ「ガハハハハ~。」

アニキのガハハ馬鹿笑いを背に部屋を出る楓。


もぉ~、何なんよ。
せっかく会えたのに。
桜井ちゃん、桜井ちゃんって…。

楓は自分の部屋のドアを開けて荷物を床に置き、リモコンでエアコンのスイッチを入れ、冷蔵庫のドアを開けながら思わず呟いていた。


「やっぱり桜井さん、辞めてくれへんかな。」



つづく。